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人生22年目突入!

今日は僕の誕生日。22歳になった。
と言ってもこのnoteを書き始めたのはそれより少し前に書き始めているので、これが21歳最後の文章になるだろう。今回はそんな僕の歴史を少し長めに書こうと思うので、最後まで読むのは大変かもしれないがぜひ読んで欲しい。

皆さんは誕生日をどう過ごしているだろうか。
授業期間の学生は友達にお祝いされたり、家庭がある人は家で盛大にパーティーをしたり。
大学生になってからの誕生日の過ごし方は少し寂しいかもしれない。1.2年の時は特に記憶に残るような過ごし方をした覚えはなく、去年は予定が無く絞り出したのが家族で遅めの初詣だった。例に漏れず今年も予定が無かったので、祖母の家で夜ご飯を食べることになった。

パーティーにしては質素かもしれないけど
余裕で腹八分目到達です


あくまで僕の第1希望は彼女を作ってお祝いしてもらうことなので若干強がっているように聞こえるかもしれない(実際ちょっと強がってる)が、誕生日は1年で最も親への感謝の気持ちが湧く日でもあり、家族と過ごすのは実は超模範解答なのでは無いかとここ数年は思うようになった。

僕は双子であり、しかも早産。予定日の3月11日より2ヶ月近く早く生まれた僕は、2,000gに満たない未熟児として生を受けた。
僕が若干引かれるほど過保護な環境で育てられたことを知っている人も少なくないだろうが、恐らく出生の前後にこうした命自体の危機があったからだと思う。

その後は順調に育つ



さらに、実を言うと僕には姉がいる。
いや正確にはいた?いるはずだった?といった感じだ。

正確なことは小さい頃に聞いた話なので覚えていないが、僕たちが生まれる3.4年前に、母は女の子を妊娠していた。もちろん両親にとってそれが初めての子どもで本当に嬉しかったに違いないだろう。
しかし女の子はお腹の中で体調を崩し、生きてこの世に出てくることは無かったのだ。僕たち兄弟はその出来事を当然話でしか聞いたことがないが、親にとってこれほどまでの悔しさや罪悪感、悲しみは無いだろう。

そうした背景もあって生まれてきた僕たちの事を一日でも長く生きて欲しいと必死に守ることを、過保護というのは少し失礼な話かもしれない。僕もきっと親になったら気持ちがわかるのだろう。
自分が今日この瞬間生きていることがどれだけ奇跡で、どれだけ多くの人に支えられた結果なのか、誕生日は考えさせてくれる。

しかし、常日頃こんなに重たいものを背負って生きている訳では無いので、僕は産まれてくることが出来なかったお姉ちゃんのためにも、周りのみんなが楽しい人生を送るためにも、笑って、笑わせて、過ごしたい。

22歳、いい一年になりますように。

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