2020.10.31

うっとりと、思い出すように懐かしむように穏やかに、背をぴんとさせて耳を立てて、また遠くをみている。なにか体内に感覚を鈍麻させる薬でも入っていてぼんやりしてしまったような眼をして。

小さな柴犬と暮らすことになった。こんなに絶望を、無意味な時間を、味わわせてしまうのならやめておけばよかった。一緒にいると決めなければよかった、関係ない同士でいることに決めればよかった。こんなに狭いつまらないエリアで誰かの暇つぶしの道具のために制限まみれの生活をしなければいけないのなら、そうやって死んでいかせるのなら。

子どもが生まれた頃に感じていたことと同じことを思ってしまう。

こんなにたくさんのことを人間の社会で生きやすいように矯正しないといけないのなら、こんなに待たせて悲しませないといけないのなら、してはいけないことばかりでつまらないと絶望させてしまわせないといけないのなら、もっていたからだの力、たましいの力を弱め、そうしないと生き延びられないと自分で自分を突きつけ殺し続けなければいけないようにさせるのなら、やめておけばよかった。ここに生まれてこないほうがあなたらしくいられた。

でも、それは仕方なくもあって、隣り合わせた自分がどうにかできたことでもない。ここで自分で意味をみつけて生きることが、せめてよろこびであればいいのだろう。偽のよろこびに至るかもしれないし、それでいいのかもしれないし、ほんとのほんとはみつけられるべき意味などとくになく、与えられた場所に自分の息を広げて、淡々とそのものとして生きる仕事をする、というだけなのだろう。そしてそこに居合わせたものはそれを見る。見て、彼の息を引き受けてうすくそこにのばしていく感じ。

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