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トランスランゲージから考える、日本語教育

いわゆる子どもの日本語教育の事業に関わり1年半、
バイリンガル教育であったり、第二言語習得といった今まで学び遅ていた分野からの知見にいろいろと気づかされることが多い。
これらの知見は、大学生や大人の日本語教育にも通じる部分も、多いにあると思われる
その中に「トランスランゲージ」というのがある。
ごく簡潔に言えば「生徒の第一言語を第二言語学習にも活かす」ということだ。

私は、日本語のモノリンガル(日本語が母語、第一言語であること)として育ったため、CLD児童・生徒ではあったものの、「日本語」でしか、理解できない。

Jim Commins先生の言うCrosslinguistic pedagogyでは、文化的に多様な児童生徒の第1言語の読み書きの力によるが、例えば作文を書くとき、第1言語で書いてみて第2言語でも書くや、スピーチ原稿など作る際のスピーチの原稿の構成を第1言語で説明するなどして生徒の言語意識を育むことなど、アイデンティティも肯定していく大切さを主張している。

普段大学生、大人を対象とした教育実践を行うが
日本国内ではさまざまな国の学生が集うため、「直接法」と言われる方法で日本語で教える。
私が大学生だった20年前から、今までも続いている教授方法で、国内でこの方法論を取るのは多いのではないだろうかと推察している。

そんな直接法バリバリにやってきた私に「方法論って、、そんなに大切だろうか?」と、モヤモヤするきっかけを与えたのは
「英語を使って日本語を教えてください(質問等に答えたりする)」と所属先から要請だった。

や、、英語、、読み書きが精一杯で、、話すのはちょっと。。と思ったが、面接は受け、「英語で対応できる?」と面接官に聞かれた(正確には不安がられた?)時に私は「学生に’伝える’ことは伝えます。英語の4技能は差がありますが、英語も上達させる様、私も学習者として努めます」とポロッと出て、採用された。

多くの留学生は英語を共通語としている。(英語で四年間学問を修め、卒業する学生もいる)

日本語と「英語」のバイリンガル教育の環境に近いのだ。

基本は日本語で教えているが、よりしっかり意味を確認したい事は、英語で質問される。私の英語はまだよちよち歩きだが、それでも私も英語で答え、時には、これは日本語でも行ける、と思えば日本語で教える。

大切なのは「伝え」「伝わる」ことで、学び続けられること。

そう思うと直接方で教えてきた中で「いやぁ、これ日本語で教えるの限界だわ〜」と言うのが楽々超えられる。
彼らがわかる言語(英語)を活用して、さらに第二言語(日本語)で表現してみたり、クラスメイトと交流したりと、学びが変わっていくのが感じられる。

私は日本語教師として
学習者に関わることが好きなので、
未来の日本語教師を担うような教師教育はさほど、興味がないのだが

養成講座では今一体どんな教え方をしているのだろうかとふと思う。

方法論にこだわっているだろうか。

トランスランゲージが良くて、直接法が悪いという是非の問題でなく
自然となのか
人は方法論を知りたがるが、
目の前の学習者が日本語で自己実現していくためにどうするかと
自分で考える力を養うことこそが教師として長く活躍するためにも大切である

このトランスランゲージも大学生と教師にも、私の実践で言えば英語という共通語があるわけだが(学習者の英語レベル高、教師の英語レベル低)

最近のAI翻訳もかなり精度が上がり、そういうものも私は駆使している。
(Google翻訳は使っていない)

こういうアプローチは、主に第2言語に初めて触れる段階で取り入れることで
学習者が安心して学べるのだろうと考える。

まだまだ、外国人の日本語力が問題視される事は多く
日本社会では日本語を話すものという考えが根強いが

政策は、外国人を受け入れ、共生社会へとすすむ。

社会全体のパラダイムシフトと言える中で、日本語教育の方法論だけでなく、考え方もパラダイムシフトが必要である。目の前の学習者を見て。



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