時間をかけて変化していく。人も、田んぼも。
FUSABUSAのオーナー、薫さんと知り合ったのは2016年のこと。
薫さんはご夫婦で『地元・房総の食をつなぐ』というコンセプトで、飲食店を営んでいました。
そのお店から目と鼻の先の酪農家さんのお宅で、たけしくんが雑草をテーマにした小さいお話会を開いたときに、足を運んでくれたのです。
お話会が終わり、みんなで雑談していたとき
薫さんが「実は…」と話を切り出しました。
『自分は農家の家に生まれたが、農業の経験は一切なく、今は飲食業をしている。先祖代々引き継がれてきた農地が休耕地になっていて、この先、どうしていったら良いのかと悩んでいる。誰か代わりにやってくれる人は居ないだろうか…』
私たちは南房総の棚田で「耕さない田んぼの教室」を本格的に始めたばかりだったので、たけしくんは田んぼの準備に手がいっぱいで、薫さんの話を慎重に聞きながらも、これ以上、田んぼの面積を広げられないんですよね、と答えていました。
わたしは、「まずは、薫さんが田んぼのことを知る為に、教室に来ていただくのはどうですか?」と、提案。
その上で、あらたな選択肢や出会いもあるんじゃないかなと思ったのです。
現状、お店の営業があるから、教室に通うのは難しい、と薫さん。
何か前向きに考えられたら良いなと思いながらその日の話はそこで終わったのですが、そのあと、それなら自分達が行こうと、定休日の店内で、『耕さない田んぼの鴨川校』を開かせて貰うことになりました。2016年の2月から12月までの月1回ペースで、座学がメインでした。
この年から、今も続くFUSABUSAさんとのお付き合いがはじまったのです。
薫さんのご実家が所有する農地は何カ所かあり、見せて貰った田んぼは、天水の棚田でした。10年近く、荒れ地となっていた休耕田です。
川からのポンプアップが必要だし、たけしくんは、薫さん自身が田んぼに携わる時間がとれないことも考慮して、中途半端には始められないなと思案していたようです。
次の年に入り、それなら…
「休耕地をゆっくりと田んぼにかえす方法があります」
と、薫さんに提案しました。
そのとき、わたしの脳内に浮かんでいたのはこの時のこと↓
その年の4月、薫さんは、代々受け継がれてきた土地を継承することを決意し、“ふさぶさファーム”を始動させたのです。
次の年、麦の栽培や、草刈りなど、月1ペースで休耕田に足を運び、観察を続けていたたけしくんが、ついに動き出します。
普段から湿ってぐずついていた棚田の1カ所に、上段でお米を作っている農家さんの田んぼから水が浸みて、水が溜まっていました。
そこを、試しに畦で囲ってちいさな田んぼにしたのが4月。
さらに翌月、薫さんの認識していなかった休耕田が、他にもあることが分かり、見に行くことに。ここの田んぼも天水でしたが、たけしくんは山から水が浸みてくる、水道(みずみち)に目を付けました。
冬から水を張っているうちの田んぼと同じ土が一カ所だけ有り、「もしかしたらいけるかもしれない!」直感でそう思ったたけしくんは、雨の降る日を待って、1日で田んぼを仕上げたのでした。
田んぼができたその数日後には田植えという急速スケジュールです。
観察はじっくりと時間をかけて、「今だ!」と判断したら、行動はおどろくほど迅速です。
どちらの田んぼも、ふさぶさファームにとって、初めてのお米を実らせることとなりました。
そして2019年、薫さんご夫婦は、鴨川の海辺で営業していたお店をクローズし、実家の納屋にあたらしい命を吹き込み、食と暮らしをつなぐ里山のアトリエ『ふさぶさnaya』を、今年3月にオープン。と同時に、ふさぶさファームで、「耕さない田んぼの会」がスタートしました。
ここにわたしが書いた話は、ほんの一端に過ぎませんが
ふさぶさファームの活動の記録は、薫さんのゆっくりと、確かな変化とともにブログに綴られています。
(次回はいよいよ、『休耕地を耕さず、ゆっくりと田んぼにかえす方法』を書きます!)