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ヒロ記

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本当にあった色々なお話。
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#幸せ

「私、今幸せです」いつ死んでもおかしくないと医者に宣言されてから10年

今日は土曜日。朝早くから車に乗り込み、ブランチのお店に8時半に到着。お一人様ブランチを堪能してからカフェに直行して今に至る。 ここでの注目点が「一人で」車に乗って動き回れていること。7月に流産してから「初期鬱かも」と危機感を感じ、本能的に「とにかく動かないと危ない」と言うことを感じ取った。とにかく動く為に積極的に運転を始めてから3ヶ月になる。 びっくりするくらい行動範囲が広がり、今では夫にお願いして連れて行ってもらわないと会えなかった友達達といつでも会えるようになった。

中古車を譲り受けて得た自由の翼

去年のはじめ、コロナがまだパンデミックでは無かった頃、私は中古車を両親から譲り受けた。2013年のホンダ・シビック。 これが私の「自由の翼」である。 エンジンは弱いが、安定していて身軽な自動車。色も鮮やかな青で駐車場でよく目立つ。 決して高級車ではないし、私が大学生の頃から父はこの車を乗り回していた。所々傷が入っていたりヘコんでいたりして、これから運転初心者として乗り潰すつもりの私には打ってつけの車。 10年前、私は「自由の翼」を失った。22歳の時に受けた脳手術の後遺

精一杯生きる為に「すべき」を捨ててみた

「大学へ進学すべき。」「正社員として働くべき。」 「結婚すべき。」「家を買うべき。」「子供を産むべき。」 若い女性には沢山の「すべき」が待っている。 親の助言。友達の意見。社会の「常識」。 口に出しては言われないが受け継がれる暗黙の了解。 30歳の誕生日に私は「すべき」を捨ててみた。 仕事を捨てた。正社員として働き出して4年半、私は正社員としてのキャリアを捨てて退職した。 いつか退職するであろうとは思っていた。でもまさか30歳と言う若さでするとは思っていなかった

脳腫瘍のお陰で手に入れた「幸せ」

皮肉な話、22歳の誕生日、命を脅かす病の診断を受けて初めて「生きたい」と思い始めたと思う。 中学2年生で精神科医に「うつ病」と診断された。 毎日死にたい。辛い。苦しい。 今となれば中流階級で生まれ育った11歳そこらの女の子にどうやってそこまでの苦しみが生まれたのか不思議に思う。でもあの苦しみは本物だった。可能な事なら本当に消えてしまいたかった。 幼いながら「自分にはこんなに辛いと苦しむ資格はないはずなのに」と罪悪感に苦しんでいたのを思い出す。 簡単に見える「理由」もなく

enough。「十分な幸せ」を探して。

こんにちは。アメリカの東海岸在住の@hirokonishimuraです。コロナ自粛生活が始まってから74日が経ちました。 この頃、私は私の中の「Enough」を探しています。 Enough「Enough」とは「十分」と言う意味ですが、「Happy Enough」「Fulfilled Enough 」「Wealthy Enough」「Healthy Enough」。 人間はこの「Enough」を探して一生を歩んでいるのでは無いだろうかと思います。 私は今「十分な幸せ」を