見出し画像

「森と湖の国フィンランドデザイン」レポートと、同国のガラス工芸について

※こちらは2013年1月27日に、僕の旧ブログ「LittleSpring」に掲載した記事をnoteに移設したものになります

2012/11/21〜2013/1/20まで、六本木ミッドタウンのサントリー美術館で開催されていた、「GLASS DESIGN from FINLAND(森と湖の国フィンランドデザイン)」展に、終了直前に行って来ました。

今回はこのレポートと、催しの主題となった「フィンランドのガラス工芸」について触れてみたいと思います。

フィンランドのガラス工芸史

フィンランドガラス工芸の始まり
フィンランドのガラス工芸は、同じヨーロッパでも有名なヴェネツィアやボヘミアと比べ歴史が浅く、始まりは18世紀の半ばでした。当初はヴェネツィアン・グラスやボヘミアン・グラスの模倣からスタートしています。

これは、当時フィンランドを支配していたスウェーデンが、森林資源の確保に合わせて、同国をガラス製造の拠点としたのが始まりです。

日本でも江戸切子・薩摩切子など、ガラス工芸と呼べる物は江戸時代から始まっているので、ほぼ同時期に当たります。

独立と民族性の高まりによる独自スタイルの確立
1917年、フィンランドでは歴史的に大きな出来事が起こりました。
ロシア革命により帝政ロシアが崩壊したのを機に、独立を果たしたのです。ロシアの支配前はスウェーデンの支配下にあったため、実は国家として初めて成立してから、まだ100年も経っていない新興国です。

こうした社会情勢から、この時期にフィンランドの人々の中で民族性が強く芽生え、自国の文化を意識する様になったのは必然の流れでした。

1930年代に入ると、機能性と芸術性を兼ね備えた日用品がブームとなり、独自のスタイルを確立。国際展でも他国からの注目を集め、以降、ガラス工芸のみならず、フィンランドにおけるプロダクトデザインの伝統となっていきます。

この時期は、アルヴァ&アイノ・アールト夫妻が手掛けた、「Bolgeblick」「Savoy」シリーズが製品として有名です。

戦災からの復興と企業内プロダクトデザイナー達
躍進したフィンランドのガラス工芸ですが、第二次世界大戦により危機を迎えます。

詳細は割愛しますが、ソ連との歴史的経緯により、不本意ながらナチス・ドイツと同盟。大戦当初は枢軸国側として戦いました。その後、連合国が攻勢に転じるとソ連と講和を結び、今度は国内に駐留していたドイツ軍と戦うことになります。こうしてフィンランドは独立を維持したものの、戦争の傷跡を大きく残し敗戦国となりました。

このドイツ軍との戦いでロヴァニエミの街は9割を焼失。戦後に前述したアルヴァ・アールトが、ロヴァニエミで多くの建築物を手掛け、復興に尽力しました。

戦争による労働力・材料の不足による製造の中断、そして経済の混乱によって苦境に陥りましたが、イッタラ社・ヌータヤルヴィ社・アラビア社といった今でもブランドとして名が残る企業が、戦災復興・ガラス工芸の復活を支えます。

この時期の特筆すべき点としては、カイ・フランク、ティモ・サルパネヴァ、タピオ・ヴィルッカラら、企業内のプロダクトデザイナーが台頭したことがあげられます。以降、フィンランドのガラス製品のデザインは彼らプロダクトデザイナーが手がける様になり、やがて全盛期を迎えます。

1970年代に入ると、ダイナミックなガラス造形が可能となったこともあり、上記したデザイナー達がアートの分野にも進出。さらに国際的な評価を高めることとなりました。オイヴァ・トイッカが、イッタラの「バードシリーズ」を手掛けてヒットさせたのもこの頃です。

近年のフィンランドガラス産業
こうしたガラス産業ですが、近年ではまた雲行きが変わってきています。

戦後からガラス産業を牽引してきたメーカーも、世界的な不況の影響もあり、吸収合併が相次ぎ減少。イッタラ・ヌータヤルヴィ・アラビアも、現在はイッタラに経営統合されています。(そのイッタラも、ヌータヤルヴィと合併後にハックマン社に買収され同社が社名変更しているため、既に純粋なものではありません)

国家的な施策として、教育機関において次世代のデザイナーや職人の育成を進めていますが、この様な情勢から雇用が生まれない状況となっています。

そういった中、卒業生たちは個人として自由な表現の場を求めるようになり、海外へ進出。現在では個人のプロダクトデザイナーの数が、企業内のプロダクトデザイナーの数を圧倒的に上回ったといいます。

企業でも新しい動きとして、今までは自社内のデザイナーのみに任せていた流れから、個人のデザイナーとコラボレーションする動きも増えてきているのが現在の動向です。

「GLASS DESIGN from FINLAND」レポート

というわけでフィンランドガラス工芸史をざっと説明したところで、今度は僕のレポートを紹介します。撮影許可の展示物もいくつかありましたので、写真と合わせてご紹介します。(当日、カメラを忘れてやむを得ずiPhoneで撮影…)

画像1

入り口に入ると、オーロラをイメージしたインスタレーションが出迎えてくれました。テンション上がったというよりは、しばらくここに佇んで、精神集中したい…そんな感覚でしたね。

画像2
画像3
画像4
画像5

館内では、基本的に前述したフィンランドのガラス工芸史に合わせて、その時代時代の製品や作品を、案内と同時に展示していました。

画像6

ハッリ・コスキネン「きわみの光」

画像7

オイヴァ・トイッカ「トナカイの集会」(ヌータヤルヴィ社製 フィンランド国立ガラス美術館蔵)

画像8

ガラス種と吹き竿

「ガラスを反射した影も含めて美しい」そんな絶妙な照明具合でしたが、よくよく考えると「日照時間が短い北欧の国では、昔の実際の利用シーンもこんな雰囲気だったのかなぁ」とか、色々と思いを巡らせました。

感動も大きかったのですが、それ以上にインスピレーションをかきたてられた…そんな展示会でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?