多様性の視点からのポリティカル・コレクトネス批判を、差別主義者の影響を受けたバカ扱いするのは暴論

前置き

「ポリティカル・コレクトネスがアメリカの表現文化の多様性を狭めている論」=「コミックゲーターやオルタナ右翼の一派である」と言いたげな一部の自称アメコミ通の方(※)のご意見を見たので、非常にもやもやしていたわけです。「そんなんいるか?」というご意見も見ましたが、このまとめを見る限り、「ポリコレ批判者はコミックスゲートの寝言を真に受けている」と煽っている人少なくとも昨年の時点で複数います。

コミックゲートって、過激な人たちが社会的マイノリティや左派の対論者や小売店に破壊行為を行ったり脅迫したりをやったムーブメントだったわけですけど、なんか言ったら「あいつはコミックゲートに影響されている」ってレッテル貼るの、「あいつはナチス信者だ」に近いじゃん。酷い侮辱だよ。自分が言われたわけではないが。

赤松先生の物言いはちょっと過激だと思いますが、紙媒体の漫画で日本が圧倒的に本場なのはいちおう事実だし、「海外市場を意識しよう」論に日和りがちな業界への警鐘と捉えるとまぁまぁ理解はします。コミックス市場については後述。

アメリカのコミックス文化圏は極めて狭い

今回調べて知ったんですが、北米のコミックス市場ってめちゃくちゃ小さいです。マニアの世界。「今が全盛期ってくらい売れて」ても市場規模が小さい。

「北米コミックス市場」の売り上げのほとんどは版権売り上げで、出版での売り上げを日本の漫画業界と比較すると1/10程度になります。日本人が漫画読みすぎている…。

これは文化の優劣ではなく消費形態の差で、そのかわり、アメリカでは映画産業の大衆性が圧倒的に強く、地域によってはランチ1食分くらいの値段で見られます。「万人に与えられる最も民主主義的な芸術」が映画であるとか。Forbesのこの記事では、スーパーヒーローコミックの売り上げの低迷に対して日本のMANGAが商業的に躍進しているという点と別に、「リーフベースのアメコミの市場は縮小しているが、ディズニーやAT&Tはそんなに問題視してない(メディアミックスの収益が圧倒的に大きいから)」といったことが触れられています。

アメリカでは漫画のシェアが総体的に低く、旧来的にはあまり重要視されていない。映画が売れてもコミックスは売れない。

アメリカン・コミックスには「リーフ(単話形式の、日本でいう週刊漫画のようなもの、所謂スーパーヒーローコミックはこちらが多い)」と、日本人が想像するコミックに近い「グラフィックノベル」の二形態がありますが、とりわけリーフはコミック・ショップに流通が限られており、かつ膨大な巻数が存在するので、網羅しようとすると、入手性があまり高くありません。しかも続き物が多く、コレクターや転売屋が跋扈するのでとても敷居が高い。
また、ヒーロー・コミックは良くも悪くも「アメリカの正義の体現」といった側面を強く持ち、コミック・ショップの顧客は圧倒的に中高年の白人男性が中心。

そんな中で、マイルス・モラレスに代表されるような新進ヒーローがじわじわと支持者を得てきた一方で、作り手の社会正義意識やチャレンジとは裏腹に、ポリティカル・コレクトネス批判が起きたり、一時期話題になったNEW WORRIERSのプラスサイズヒーローが異様なバッシングを受けたり、ジョス・ウェドン版の「ジャスティス・リーグ」で、監督とプロデューサーの意向でサイボーグ(※一般名詞・形容詞ではなく、アフリカ系の青年ヒーローのキャラクター名)をめぐるシークエンスがざっくり削られたり、みたいな流れがあるのは納得されます。そういう流れの上に「コミックを男の手に取り戻せ(概略)で暴れた保守過激派のコミックス・ゲートがある。

片や成人向けのグラフィック・ノベルは、シェアではスーパーヒーローコミックスに劣りますが、そこで流通される日本のMANGAは一般書店で若い読者層、かつ女性にも人気で、近年大きく売り上げを伸ばしています。この背景として、日本のアニメがネットで視聴できてアクセス性に優れていることに併せて、かつてのコミックス・コードによってコミック文化から振り落とされた読者群(たとえば、あまり話題になりませんが、コミックス・コードによって激減した少女漫画読者など)に希求していることは無視できないでしょう。離れた人は戻ってこないから、数字にも出ない。

アメリカン・コミックスのポリティカルコレクトネス議論に追従した「日本の表現もポリコレに基づいてアップデートしろ」論であるとか、「過去のコミックス・コードや、現在のポリティカルコレクトネスのような、コミックの創作内容に対する自主規制の悪影響を否定する論」は、それはそれでアメリカのコミックを取り巻く特殊な状況が見えていない意見に思われます。

アメリカのポリティカル・コレクトネスはアメリカ社会の多文化主義的要請と宗教性に基づくもの

咥えてアメリカのポリコレを考えるとき、以下の点に留意が必要だと思います。

▼ 近年のアメリカン・コミックスは、映画原作としての色合いが強い
▼ ハリウッドを中心とするアメリカの映画産業は、巨額の資金を投入して、より多くの人が楽しめる作品を作るものである
アメリカはアイデンティティ政治で日夜各勢力のアクティビストが殴り合っているし訴訟もしょっちゅう起こるので、創作者視点だと事を荒立てるのは損
ポリティカル・コレクトネスには、社会正義以外に商業的な要請としての側面もある
▼ アメリカ社会は保守宗教関係者の声が大きく、創作者と「有害表現」批判との政治的な綱引きが長年行われており、これはいわゆるポリティカル・コレクトネスにも反映されている


アメリカはアイデンティティ政治で日夜各勢力のアクティビストが殴り合い煽りあう世界であるからして、全方位に気を遣ってます感を出しておかないとめちゃくちゃ怒られるし、しかも売り場に置けない。なんなら訴訟になる。このへん踏まえないと「北米のポリティカル・コレクトネス」は語れないでしょう。

一方、日本のコミック文化はマイノリティ・マジョリテイが入り乱れて作ってきた多様性の世界

一方で、日本のコミックは出版や映像化のハードルが(アメリカに比べれば)きわめて低いため、作家性が強く、「少年漫画は少年漫画ファンが読むし少女漫画は少女漫画ファンが読むし青年向け性表現はそのファンが読むしBLファンはBLを百合は百合を読む」みたいな形でジャンルが細分化されてめいめいに栄えている。

「マンガを読んでアメコミを読まない12の理由」:マンガとアメコミの違い」
2006年の記事。ヒーロー・コミックとマンガの両方の読者である北米女性による、「コミック・ショップはマニア男性に独占されていて、マンガ・アニメのほうが圧倒的にライト層への間口が広い」との指摘。ヒーロー・コミックが業界の努力で間口を広げてきたとはいえ、大勢ではこの状況はあまり変わっていないのではないかと考えます。

『女性向けのアメコミがあるとは知らない女性は、コミックス専門店に入っていってその女性向けのコミックスを探したりはしない』

「ポリコレ的でない」=「差別的だから良い」ではなく、細分化されたジャンルで醸成された多様性を、『政治的正しさ』よりリベラルかもしれないぞ、と感じた人たちもおそらくマンガに魅力を感じていて(上記記事はそういう話ですね)、そういう意見をまとめて「コミックゲーターのプロバガンダに騙されてる」扱いするのはねーわって思う。

レーティングやヘイトスピーチについては科学的論拠に基づいた冷静な議論が行われるべきですが、日本のサブカルチャー表現が、諸々の政治的な綱引きを経て北米で定められた「正しさ」でチューニングを行う必要はない。

諸々を踏まえるに、アメコミ市場が閉塞していたこと、マンガ表現がライト層・若年層・女性という、コミック・ショップに来ない顧客を開拓することに成功したのは事実であるように見えます。彼らは「コミック・ショップから締め出されて」いたわけです。

オルタナ右翼も根本主義もノーサンキューです

MANGAの話でオルタナ右翼の陰謀論や差別主義者が扇動に来るのはノーサンキューですが、行きつく先は人権主義の皮を被った(大前提ですが人権は大事だし差別はなくすきべきです)、純潔・根本主義みたいな人たちによる魔女狩りによって、無害な表現や、マイノリティによるマイノリティのための表現まで排斥されるみたいな世界なわけで、それも圧倒的にノーサンキューです。

「娯楽表現の自由」の筋でオルタナ右翼がオタク層に向けて反社会的な思想で煽ってくるのにはうんざりですが、一方で、日本では宗教保守系の団体が国連関係のアクティビストにロビイングして一般向けのライトノベルやらゲームやらを性的搾取表現と認定して国内の表現に外圧を掛けてくる、みたいなことは実際に数回起きていて、それはそれで杞憂ではないわけです。どっちも迷惑です。

で、日本のコミック表現への擁護を十把一絡げに「コミックスゲートに影響を受けたネット右翼」扱いして雑語りする筋は、フィールズ・グッド・マンを見ろ。

※) アメリカン・コミックスのファンの多くは「めんどくせーな」と思いながら論争を眺めていると思われるので、ノイジーな人々が目立っているだけなんでしょうけれど。

ここから袋とじ。「MANGAはアメコミを抜いた」周辺のあれこれのファクト・チェックをやっています。

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