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自由の翼

孤独と孤高

そこには、圧倒的な違いがある。

ただ孤独でいるだけの時は、孤高にはなれない。

降りて羽根を休める場を得ていてこそ、孤高となれる。

絶対に孤独になってはいけない。
自分から孤独を選んではいけない。


そのように、何度も説いてくれた人がいる。

その頃、どんな姿勢で世界を見ていたか…と思い出すと。

全然、信頼していなかった。
もちろん、自分自身も含めて。

自分を信じる

っていうことにも、種類がある。

単に、自分を相対的、客観的に見ることができないがための自己過信を「自分を信じている」と思っているだけ…という場合もある。


かといって、あまりにも自分から離れた視点を持ちすぎると、当たり前だけど「自分なんて」になるばかりだ。

世界は広く、自分は小さな一粒にすぎないのだから。

大きな広い空に、単身、翼を広げる。

まさしく「孤高」を描いたような姿に見える。

ただし、彼の目には遠い地表に生きている者たちの姿が見えている。

どこに降りたら休めるのか。
あの獲物を掴む位置はどこになり、どう降下したら達成できるか。

自分が飛べる距離、速さや角度を知っていて、そのように動ける。

だから。
彼は「自由の翼」になれる。

孤独になってはいけない…と言われていた頃。

わたしは、自分がどれだけ環境にも人にも恵まれているかを、今ひとつ理解していなかった。

人生には友達や家族が必要だよね…とか、そういう話をしているのではない。

それは、あれば尚よいだろうけれど、なかったらいけないというものではない。

そうじゃなくて。

たとえ一言交わしただけの、偶然隣に乗り合わせただけの人だったとしても。

もう関係性が切れてしまったように思える、遠い過去の人であっても。

もう二度と顔を見たくないと思うような相手であっても。

その糸のすべての端が自分に繋がっていて、それが緻密に織り込まれて立っているのが、自分なのだ。

人間は、鳥のように空を飛ぶことはできないが。

人間にしかできない飛び方が、ある。

それこそは、

自分を創っている織り込まれてきた糸の端っこを
自分から先に繋がる世界へ、何かを創っていくものとして送り出す

行為だと思う。

糸の端を繋ぐ先があるかどうか

それが、孤高に至れるか、孤独なままかの分岐点になる。

…という、気がしている。⠀

繋ぐ先がないのなら、
創る。

あっても、もっと増やしたいなら、
創る。

細すぎて心許ないなら、しっかりしたものを、
創る。

それらが、自分よりも先の世界に、何かのカタチとして織り込まれた姿となる。

個々が、みんなで、そうしたものを思い描くことができる世は、泰平だ。

⠀⠀


わたしには、「創る」ことが一番適していて使いやすい手段なので。

あなたには、他の適した手段が、たぶん、ある。

気付くかどうか
受け入れるかどうか

ただ、それだけで。

もうすでに、そこに必ず、存在している。


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