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ゴッホと私と『信じること』

最近、落ち込むことがあったので、気晴らしにずっとアニメや映画を見ていました。
その中で、Amazon Primeで『ゴッホ 真実の手紙』が字幕版であったので見てみることにしました。

昔の話。
私は、過敏性腸症候群を抱えて学校にほとんど行けていなかった高校生のころ、受験も近いなか、高校の本棚に『ゴッホの手紙』という本があるのを見つけました。
ゴッホの手紙という本はいくつか出版されているのですが、私が読んだのはその中の伝記のような本でした。

ゴッホのことをよく知らない人にとって、ゴッホという人物はどういう印象なんだろうか。
ゴーギャンとの共同生活ののち、耳を切り落とした印象が強いだろうか。それともひまわりのイメージだろうか。

自伝を読むと、私はゴッホはものすごく愛と信じる力が強い人間だと思いました。
悪くいうと、狂信的で思い込みが強い。

下記サイトがゴッホの生涯を追うのにわかりやすいと思います。

自分の身を削ってまでの狂信的なまでの伝道活動を行ったり、娼婦に愛情を注ぎ周囲に反対されながらも共同生活をしたり、『日本の光』を追い求めアルルに移り住んだり、そういった情熱に自分はショックを受けました。

本を読み終えた自分は、その強烈なエネルギーから「絵を描くことこそ自分のすべきことだ」と思うようになっていました。
その時、具体的な時期は言いませんが、美術大学受験を始めるには浪人前提になる時期でした。

そこから浪人して美術大学受験の活動を始めるのですが、そういった無茶な希望を受け入れてくれた両親にはもちろんめちゃくちゃ感謝しています。稀有な環境と幸運さだったと思っています
(多分、なんの希望もなく教室にも行けず過ごしていた自分が、自分の夢を持ったのを応援してくれたのだと思います。)
最終的に、なんとか都内の美術大学には進学しました。

そう、大人の今の自分もそう思います。
「なぜそんな無茶を?芸術家になれるとも限らないし、芸術は儲からない。堅実な道を選ぶべき。」

でもこうも思います。
「そういう狂信的なエネルギーは、大人の自分にはもう持てなくなってしまった。あのころ、突き進んでよかった。」

美術大学に進学後は、メンタルを壊していたりしたのですが、ある時ニコ生でゲームのRTAに出会い、それもまた「これこそ自分のやるべきことだ!」と信じ込み配信の方法を調べすぐにケーブルなどを買い配信をしました。

大人の今は、時々RTAを引退して後悔する時もあるのですが、もう復帰するエネルギーも時間も残っていない…と思ってしまいます。

強烈にこれをすべき、と思って何かをできなくなっているのです。

時間のせいか、老いのせいなのか。

自分というスペースにいれられるものは限られているから、もうその中には決まったものしか入れられない。
本やCDをジャケ買いしていた青春時代は過ぎ、今はレビューを見てビジネス書や技術書だけを自分の本棚にしまうように。

いま、いろんなコミュニティに属していますが、周囲には確実に利益が得られるわけではないのに、何かを始める人が周りにいます。
そういった人が猛烈に羨ましいです。

私は、何か利益を得られるかわからないことでも、やるべきだと信じられることがあったらそのエネルギーで突き進むべきだと思います。
そういった行為は、やることの性質に関わらず、世界を豊かにする芸術だと思っています。

そういったことを、『ゴッホ 真実の手紙』を見て思い出していました。
そのドキュメンタリーを見た後、私はゴッホの史跡を巡ることを人生のTODOに入れることにしました。

「これ」と信じられることを、今からでも何か一つしたくなったからです。

私は芸術家になることを諦め、今はITエンジニアとして過ごしていますが、きっとゴッホの史跡を巡ることは自分の中の何かを取り戻す旅になると思います。

一つ、やるべきことが出来て、自分の人生が、少し進んだ気がしました。

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