見出し画像

近頃 常々 怖いもの

昔っから一番手には縁がなかった。
二番手というわけでもない。
だいたい五人いるグループならばよくて三番目。たいてい四番目か五番目にいるタイプ。
それでも、まぁいっか、と受け流してた。
だって一番や二番の人には私にはない華がある。
華、という言葉が適切かはわからないけど、私にはないものがあるというのがはっきりわかっていたし、そもそも私が欲しいものは一番手や二番手になることなのか、というとそういうわけでもない。
一番手や二番手ではなくてもみんなの前で褒められなくても、私には得意なものがあったし、それで満足してた。

気になりだしたのは、去年のいつ頃からか。
もっと私のことを気にかけてほしいし褒めてほしい。という気持ちが仕事でも趣味でも大きくなって、私よりも気にかけてもらえてたり褒められていたり人気があったりする人を見てすごく哀しい気持ちになる。
嫉妬、というのかどうかはわからない。
いままでそういう感情とはほとんど縁がなかったので。

これってどういう気持ちなんだろう、と考えて、しばらくして出てきた言葉が「承認欲求オバケ」だった。

そう思ったときに、初めて怖いと思った。
人からの評価に依存しすぎているから。

これまで趣味でだって仕事でだって、必ずしも褒められていたわけじゃない。私よりできる人、私より人気のある人、私より褒められる人は山ほどいるし、その人たちに対して悔しいとか思ったことはなかった。だって本当に私よりすごいところがいっぱいあるし、敵わないのはわかってる。でも私にだって彼ら彼女らにないものがあるし、それをほめてくれる人もいるからそれで良かった。
なのに、去年から今年にかけての私は、承認欲求オバケになってる。

今までと何が違うというわけじゃない。
相変わらず一番手や二番手には縁がないし、だけど彼らにないものを持っているという自負はあるし、それがいいんだと褒めてくれる人もいる。
でも誰かに褒めてほしくて認めてほしくてしょうがない。
どうしてどうして。

そんなふうに思っていた。

仕事のプレッシャーで押しつぶされそうになっていたのと、新しく好きなものができて環境が少し変わったのとが、悪い意味で相乗効果になってたんだろうな。
と、今なら少し客観的にみることができる。
だけど、今もまだ承認欲求オバケはすぐ近くにいて、こっちを見てほしい、私のことを褒めてほしい、私を認めてほしいって思ってる。

ただ、少しだけど客観的にみることができるようになったのは、いい傾向なのかな。

この承認欲求オバケが大きくなりすぎませんように。

と、私はときどき祈っている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?