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落ち目


飯島由紀子は甲州街道を1人で歩いていた。
最近できた新しいホテルに向かっていた。

今から会う男が、新宿三丁目の方を指定してきたので、「人混みはちょっと」と避け、自分でホテルを指定した。このホテルには一階にいいレストランが入ってるらしい。家から近いそこに行ってみたかったのと、男が期待外れでも、すぐに帰れるような場所を選んだつもりだった。

ホテルに入ってから、タクシーでくるという男をしばらく待っていたが、10分ほどして男が到着した。

「こんにちは」
「はじめまして」

会った瞬間に、一瞬だけ曇った顔をするのを由紀子は見逃さなかった。私の顔を残念に思っている。

いいのだ。この数ヶ月で何度も経験していることだった。私のマッチングアプリの写真は、もう6年前、36歳の誕生日の時のものだ。カメラマンの友達が撮ってくれた渾身の一枚で、自分でも写真詐欺だと思う。でもこの写真のおかげで、男からのライクがたくさんつくのも事実である。

要は、リスク&ベネフィットだ。写真詐欺だと怒られたり帰られたりするリスクよりも、男たちの目に留まるベネフィットの方が高いと由紀子は考えている。だから由紀子は、男の一瞬の残念そうな表情を、むしろ最近では楽しみだと思うようにしていた。

目の前に立つ新井と名乗る男は、一瞬でその残念そうな表情を元に戻した。由紀子は、そのスピード感からして、この男は仕事ができると思った。そしてその風貌からJTCには勤めていないだろうとも思った。ベンチャー企業の執行役員クラスか、小さい会社の経営者か、一定成功している個人事業主だろうと思われた。

由紀子は秘書として投資ファンドに勤めていた。
化け物みたいなビジネスマンに囲まれて生活している中で、仕事ができる人間とそうじゃない人間の区別が自然とつくようになった。仕事ができない人間に対して、仕事ができる人間と同様のエネルギーと時間を提供しても、リターンが少なすぎることは体感で分かっていた。

一方、2ヶ月前に由紀子に別れを告げた男はバーテンダーで、投資ファンドに勤める人材の1万分の1ぐらいしか仕事に置ける能力のない男だった。にも関わらず、由紀子は振られた。由紀子はもう40を優に超えている。

そこから由紀子の生活は変になってきた。将来への不安、結婚への諦めと希望、自分という職業人に対する期待値、ここまま一生私は1人で、秘書などというどうしようもない仕事を続けるのかという絶望に近い感情が由紀子の心を巣食っていた。noteで恋愛コラムニストに真似事をしてみたり、ヨガのトレーナーの資格を撮ってみたり、英語の塾に行ってみたり、いろんな男をセックスしてみたりしていた。

仕事がら金融に詳しい由紀子は、自分がもう落ち目の株式銘柄のように感じていた。それも、確信に近かった。42にもなって男に振られ、結婚もしてもらえず、仕事も、いわば人のお手伝いである。それ以外できることが自分にはないと由紀子には分かっていた。

新井は、頑張って自分のことを、自虐を含めたり、自慢を含めたりしてたくさん話してくれた。由紀子は、自分のどうしようもない人生の腹いせに、新井に嫌なことを仕掛けてやろうと思っていた。このホテルでセックスしたあと、「ねぇ、セックスしたんだから付き合ってよ」と言ってみるのだ。その時、新井がどんな顔をするのかと思うと少し楽しくなってきて、由紀子は目の前で話し続ける新井に対して微笑みかけてしまった。

新井は、由紀子のその微笑みを見て、今日はいけると確信したのか、これまで一生懸命話していた口をとめ、酒を口に運んだ。そろそろ部屋に誘われると思うと、由紀子は、自分の市場価値がまだギリギリ保たれていることに対する安心感と、こんなゆきずりのセックスの相手としかもう見られないんだという虚しさが自分の心の中で入り混じって、攻撃的な何かに切り替わるのが分かった。そしてその攻撃的な自分の性格を感じて、だから振られたんだ、と思ってため息が出た。

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