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ノーベル文学賞候補読書の顛末記

 きっかけは7月に会った読書会仲間の一言だった。
「ノーベル文学賞候補作家を紹介する冊子を作りたい。」
候補作家の和訳作品の読書感想文をまとめたいので協力していただけないか?という依頼である。
 僕はチャーチル、ガルシア・マルケス、J・M・クッツェー、ジョゼ・サラマーゴ、ドリス・レッシング、トニ・モリソンなどノーベル文学賞を受賞した作家は読んできた。しかし候補作家という視点で本を選んだことはない。過去のノーベル文学賞候補のブックメーカーを検索してみると未読の作家ばかりだ。これを機会に読んでみるのも悪くない、また彼の「日本人が受賞するか否かばかりが話題となる今の風潮に抗いたい、という彼の気概にも共感したので、軽い気持ちで引き受けた。かくして地元の図書館から借りたり、通販の古書で購入したりして7月末から文学漬けの日々が始まった。僕が読んだ本は読書順に以下の通りである。

アドニス「暴力とイスラーム」
イスマイル・カダレ「夢宮殿」
多和田葉子「献灯使」
ハビエル・マリアス「白い心臓」
マリーズ・コンデ「生命の樹」
残雪「最後の恋人」
マリリン・ロビンソン「ギレアド」
村上春樹「騎士団長殺し」
余華「活きる」
閻連科「丁庄の夢」
ハン・ガン「すべての、白いものたちの」
リュドミラ・ウリツカヤ「女が嘘をつくとき」
※村上春樹と閻連科は再読。

 候補とはいえ、世界各地の様々な文学賞を受賞している高評価の作家達である、いずれも読み応え十分のユニークな作品ばかり。多忙により読書は通勤電車内や休み時間に限られ、休日は雑用をこなす中感想文書きに追われたが、それなり充実した時間を過ごせた。始めのうちは。
 マリーズ・コンデあたりから徐々にのめり込み度合いが激しくなり、読書の続きが気になって本業の仕事に対する集中力を保つのが難しくなった。圧倒的に読書が楽しい、読書で食べていく手はないか?というファンタジーにも囚われた。比較的時事問題にも関心がある方なのだが、残雪を読んだあたりからニュースを見たり読んだりしても、どこか遠い世界の出来事に思えてきた。実際日常の様々なことに気が行き届かず、ハンカチを亡くし、スマートフォンを置き忘れたり、ついには財布まで落としてしまった。「心地よい文学ハイ」と引き換えに大量のシナプスを過労死させてしまったようだ。
 またいろいろ読んで調べていくうちに、当初軽く考えてた「ノーベル文学賞受賞者予想」がただ事ではないことがわかってきた。欧米だけでも様々な文学賞があり様々な国の文学者が受賞している。村上春樹はもちろんだが、中国、韓国の作家もかなり評価が高いし、それなりの高評価ながら邦訳のない作家も多い。また詩というジャンルがこちらが思っている以上に重要視されていることもわかってきた。
 ともあれ忙しい最中頑張って読書し感想文を書いたので、ノーベル文学賞発表の日は、感想文集企画者の「書店のパブリックビューングに行きませんか」との誘いに乗ることにした。その場に行ってみると大勢の報道陣に集まっているのに驚いた。ぼんやりしてたら「村上春樹さんのファンですか?」「よろしければお話聞かせてくれませんか?」「日本人が受賞すると思いますか?」と次々と質問され、気がつけば大層大きなビデオカメラを前にインタビューされる羽目になった。「海外文学ファンです」と答えた時の報道陣のいぶかしげな困惑した眼差しには、かなり焦った。本心はビール飲みつつ読んだ本の感想を誰かと面白おかしく交換できたらそれで満足の小心者だ。世間に容姿を晒したいわけではない。それでもしどろもどろになりながら取材に応じられたのは、不思議な文学ハイのせいだろう。
 そうこうしてる間に読書会仲間も集まり、企画者の彼もこれまで送った僕らの感想文を冊子にして持ってきてくれた。コピー機印刷をホチキス留めしただけながら、9人で手分けして書いただけあって99ページとボリュームもなかなか、予想以上の出来栄えに驚愕した。

 「アン・カーソンとか翻訳がない詩人がほんと不気味だよね。どうやって調べたらいいやら」
 「海外の詩人となると、研究者の論文を当たるしかなさそうですね。」
 「国会図書館とか通う?そこまでやる?」
 「一体だれが取るんだろう。」
 「いろいろ読みすぎてもうわからない。J・K・ローリングが受賞でも驚かない。」

などと集まった読書会仲間と会話してる間にノーベル文学賞の発表となったが、あちらの発表者の英語が聞き取れず、米国の詩人のルイーズ・グリックさんが受賞したことがわかるまでかなり時間が掛かった。沈黙だけの間がちょっとおかしかった。
 ちなみに僕の予想は、自分が読んだ作家から、一番マリーズ・コンデ、二番マーガレット・アトウッド 三番閻連科の順にした。今回の企画に参加した読書会仲間も様々な作家を挙げていたが、結局は外れてしまった。しかし、企画者の彼が「日本語訳のない作家」リストの一人としてルイーズ・グリックの名前を冊子に載せてくれたおかげで、報道関係者の我々に対する対応が当初の「訝しげ」から「熱心な海外文学ファングループ」へと微妙に変化して、まあ、正直ホッとした。

 パブリックビューングの後、集まった読書会仲間から「短期間にすごい冊数読みましたね」とお褒めの言葉を頂き嬉しかった。自分が書いた感想文の質には満足してないが、感想文の企画のおかげで読む動機を得て、改めて文学の楽しさと深みを知れたのは大きかった。当面は失ったシナプスの回復に努めた後にまた読書をがんばろうと思った。

 冷や汗かきながら受けた取材だったが、所詮世間的にはビジュアル的にも今ひとつのマイナーな海外文学ファン、日本人の受賞もなくニュースバリューも当然低いだろうからテレビに使われることは無いだろう、とたかをくくっていたら、想定以上に使われたらしい。翌日、各方面から「テレビに写ってましたね」と言われ、実はかなり焦っている。一体この先どうなることやら。

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