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noteでもピロートークしたいんです。

「今夜はここまでね…」とベッドで<お預け>する女の子は苦手でした。いよいよ感が出てきたときに、鎖骨の下あたりを手のひらでぐっと押し返される、あの感じ。確かに、その鈍い圧迫感の記憶も青春だったりするわけですけど。ただ根本的な問題は、事態を焦るばかりにロマンチックを維持できぬ自身の魅力不足であり、未熟な狼男はそれはそれは悔やんだものです。

それ故に?その駆け引きの果てに?なのかはわかりませんが、事後の<ピロートーク>は余韻と感謝で溢れたひと時であって欲しいのです。同じ温度を分かち合いながら、将来を予感したりして、いとおしさをもったいぶらずに表現したくなる、伝えたくなる、そんな時間。

僕が、こんな恥ずかしいあれこれを書き連ねて、一体このnoteで何を言いたいのかといいますと、
「僕はnoteでは<お預け>的な有料記事はやりません!
ただ<ピロートーク>的なささやかなコメントを頂けますと幸せです!」
ということです。せっかくの素人ですし、です。

何の審査もオーディションもなく、編集者や推薦者もいるわけでもない、「ノーハードル」のnoteの空間に、言葉や音楽の表現を、放り込んでいるわけです。好き放題。なかなかの片思い、独りよがりな愛情表現で、あてのない公開ラブレターのようなものです。恥ずかしいことですね。もう一段、恥ずかしい発言を吐露するならば、「ひとつひとつの表現がどうか、誰かへの<贈り物>になりますように」と勝手に愛情を込めています。書き終えたらちょっとクタクタになるぐらい本気で愛を注いじゃっているのです。

しかし、noteの表現を通じて僕が、いわゆる「賢者タイム」に近い、解放感や悟った錯覚を味わっているのは事実です。そんな結局は自己満足的なnoteですから、有料記事にできるかも?、などとはとてもとても思えないのです。ましてや「無料なのはここまでね…」と<お預け>するなんて滅相もございません。

ただ、ただですね。誰かのために少しでも上手に表現の<贈り物>ができるようになりたいのです。ですから僕のnoteに、もし共鳴するようなことがあれば、または反発することがあれば、そんな時はささやかなコメントいただけると嬉しいです。「有難いなぁ有難いなぁ。また<贈りたい>なぁ」と心が温まる気がするのです、<ピロートーク>のひと時のように。

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