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バドミントン・インターハイ出場への非常な日常

週6日でバドミントンすることは今となっては非日常なわけだけれど、高校時代はテスト期間も夏休みも変わらず、正月に1週間くらい体育館が使えない時期以外はそれが日常だった。バドミントンに限らず、そういう濃い部活の記憶を懐かしむ方もそれなりにいるだろう。


練習始まりの豊平川沿いのランニングは、時期によって頻度はまちまちだけど、折り返し地点の橋の名前がついた約3km, 5km, 8kmコースのどこかに行く。体育館に戻ってきた後フットワークで再び息が上がって開始からだいたい1時間弱、それからシャトルを打つことになる。。毎日のように続けていると慣れるけれど、それは「きつくなくなる」ことではなくて「きついことに慣れる」こと。

毎日全身筋肉痛なので、学校の玄関から教室へ行くために階段を登るときは足が痛くて重くて大変で、授業時間は自動的に体の休まる態勢に傾いていく、ということになる。

どうしてそんな”無駄で役にも立たなそうな”日常を選んだのかというと、バドミントンの試合でもっと先に進むため。その当時のわかりやすい目標はインターハイ出場、つまり全国大会出場だった。


小学校・中学校までは北海道大会の上位までたまに行けることがあっても、全国大会に出場する北海道代表選手との実力差はかなりあった。自然とそれ以上の想像が膨らむことはなかった。僕を簡単に負かした北海道代表の選手が全国で上位に入っているのを新聞やバドミントンマガジンで見て、「やっぱ強いね」、と論理的に納得する感じ。

高校に入るとその状況が変わった。北海道の全国大会の予選が南北海道と北北海道の2地区に分かれたり、上位選手の移動などによって、地域ごとの勢力図が変わった。これによって、僕が所属する南北海道地区の代表にもしかしたら手が届くかも、とピンときた選手が多かったと思う。


僕もその一人だった。そして同学年でメンタル強め、のちにダブルスパートナーとなる長田もそう思ってたはず。


本当に届くかどうかは実際やってみるまで誰にもわからないけど、最初から期待もしない状況よりも、少しでも可能性を実感するのは大分違う。それで高校1年の途中から高校3年時にインターハイ出場する想定で生活し始めた。

懸念材料はいくつかあった。高校3年時に代表争いをする可能性のある選手は当然スポーツ推薦入学の学校所属が多い。僕の高校も練習環境はよかったけれど、それと比べてしまうとどうしても分が悪い。また縁起みたいなものに近いけど、それまで10年以上*連続で北海道代表選手は全て札幌第一高校の選手だった。おそらく、これまでも他学校の選手がその一角を崩そうとしてきたけどずっと悲願叶わずにここまで来た、という事実があった。(*:20年近いような気がするけど正確な記録が見つからなかった。)


そういう状況で毎日全身筋肉痛の日常は続いていって、高校1年時、2年時は想定通り、時には想定以上に試合で結果が出ていった。

高校2年後半時点で南北海道代表になれる可能性に関しての個人的な感触は、シングルスに関しては可能性はやや低いけどまだあきらめてない、ダブルスに関しては第二シード位置つまり2枠ある代表候補に入っているという緊張感を持った状態になっていた。

個人的には、ある前提をその通りにやるというのは、精神的にいい状況ではない。

そういう理由かオーバートレーニングまたはその両方のせいか、高校3年の春の試合では体が重いし息切れもひどいし全然動けなかった。結果としてはダブルスに関してはなんとかインターハイ出場に大事な第二シード権は維持できたものの、シングルスは第三シード権を失ってしまった。

シングルスの結果に呆然として何かがおかしいと確信して後日すぐに病院で血液検査をすると、

「貧血ですね。スポーツやってるの?この数値じゃ30kgくらい背負ってるみたいなものだけど。」 

「ランニングとかの着地時に足裏で赤血球が壊れることがあって、それが原因かも、、、、、マラソン選手もなることが、、、、、、」

みたいな説明されたけど

「やばい、、、どうする?、、、どうする????」

と頭がいっぱい。迷わず提案された貧血治療を受けることに。それでインターハイ予選まで毎朝病院に行って2限目から学校に行くというのを1ヶ月くらい続けることになる。

幸運にもその治療がうまくいったようで重かった体も段々軽くなっていって、なんとかインターハイ予選時には体のコンディションの感触はかなり良かった。


シード権を失ったシングルスに関しては、北海道予選の前の札幌市予選トーナメントのくじを文字通り自分で箱の中から引くと、二回戦で南北海道代表2番手候補と対戦することになった。結果は、一つ一つのショットはそんなに悪くないし体は動いてそこそこ競ったけど、戦略面の穴がいくつもあって、そこから差が出て負けたと思う。札幌市予選2回戦負け自体はそれまででダントツに悪い結果だけど、インターハイ出場争いに参加できた気分になったし、自分のその時点での実力が確認できた試合だったのでこんな最後もありかと思う。


ダブルスに関しては、札幌市予選はシングルスに集中してたのかあまり記憶がなく南北海道予選の記憶から始まる。ダブルスの試合前日は、団体戦決勝でいつものように札幌第一高校にぼこぼこにやられた。負けるのはいつもなので特にそれに関しては落ち込むことはないのだけど、その日は少なくとも6試合とかしている。次の日の朝、体の動きが悪いのもいつものことだ。

ただダブルス当日朝一番の試合はいつもよりもぎこちなかった。前衛にいる長田の動きもなんだかいつもと違うように見える。試合後、長田がそれを察知してか僕に

「ちゃんとやれよ」

みたいなことを言ってきたときは、

「おう」

くらい軽く流しながらも、少し面食らった。なぜなら、それまで試合会場で長田にそういうことを言われた記憶がないから。

貧血はほぼ治っていたので精神的なもののせいでぎこちなかったんだと思う。おそらく、僕も長田も手の届きそうなところまで来ていたゴールの前で、お互い今までと違う緊張状態を感じていた気がする。


2回戦も途中までチグハグな展開で、1ゲームを取られて3対10(当時15点ゲーム)とかで負けている絶望的場面に追い込まれる。練習ならひっくり返す気力を失うような状況。それでも勝つことしか考えていなかった僕と長田。追い込まれた極限状態でもはや後のことは考えずにフルパワーでコートの中を動き回り、最善の1球そして次の最善の一球と全集中力を注ぎ続ける。

ノリノリの相手が少しでも怯んだように見えれば自然とそこを二人で執拗に狙い続ける。そんな長田を見て

「これだよ!」

と、たぶん長田もそう思っていたはず。ここまで来て勝敗を分けた差があるとしたら、どれだけ自分たちが勝つことに疑問を抱かなかったかくらいだろう。


3回戦もうまくいかずに相手に1ゲーム目をとられる。正確にいうと2回戦もそうだけど、今日はいつものパターンがなんかうまくはまらない。2回戦と違うことは、この時は妙に落ち着いていて、自然と

「さっきのいくよ」

という雰囲気で二人ともリズムを変えるとうまく回り始めた。いつもと違うプレーをしていたので、このへんは気持ちの部分がかなり大きい。


体力的にも精神的にも際どいところを切り抜けてやっと、この試合を勝てばインターハイ出場が決まるという準決勝にたどり着いた。相手は、札幌第一高校だった。この試合はここに来て初めて不思議と、いつものパターンがハマって最初から最後まで優勢だった。



終わった時、長田が握手の形に手を出してきたから、

「?、ああ、そうだね」

と握手をした。




決勝はいつものようにぼこぼこに負ける。どこまで先に進んでも次の目標が現れて、時にはうまくいったりいかなかったりするけど、その度に自分にとって新しい景色が見えるのは楽しかった。


試合で対戦したライバルと日常を一緒に過ごしたライバルに感謝。







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