次元が違うで片付けるのは、失礼の極み
地域と医療のかけはしとなる病院を目指すようになって早2年。
壁にぶつかり粉々になっているときに声を掛けて頂いたコミュニティナースカンパニーの矢田明子さんが待つ雲南市にようやっと伺うことができた。
来てすぐ感じたこと。
コミュニティナースの詳しい説明については割愛するが、
「世界でいちばんつながる、しあわせにあふれる街」を目指すコミュニティナースカンパニーは、住民との対話の量が圧倒的に多い。
ケアに決まった形はない
幸せな瞬間を提供することがケアになる
つながりや喜びが生きる力となる
そんな当たり前に思えるケアの形も自分の地域では、まだまだ形にできていない。ここ雲南市では、何年もかけて専門職が地域住民に溶け込み、一緒になって楽しみながら健康なまちづくりをする文化が醸成されているのだ。
自分にないもの。 雲南にあるもの。
『まちの人をよく知り、まちの元気をつくっているのは、まちの人たち。』
コミュニティナースと地域の方の会話を聞いていると、どうして今までこういう話をしてこなかったんだろうと思わずにいられない。
’’熱もない、お腹も痛くない。じゃあ大丈夫だね。’’
でも腰が曲がって1年前に漬けた棚の上にしまってある梅干しが取れなくなっていたかもしれない。
こんな話ができたら、明日から誰でも小さなコミュニティナースに大変身できるな。
『信頼が得られると地域のことを色々教えてもらえます。 そのためには、自分たちが地域の文化や歴史に興味を学ぶ必要があります。』
訪問診療をしているからたくさん地域の方と話す機会はある。良いタイミングで、相手が話したいタイミングで地域の歴史やその人が好きなものについて話してもらおう。
かたちに変えるチカラ
このような地域の対話で拾われたニーズの種は、おせっかい会議で地域住民の手によりかたちに変えられていく。
誰かの幸せを願う「おせっかい」は、まち全体がチャレンジを後押しする姿勢を示してくれていることや、どんなことでも周囲が面白がって受け止めてくれる文化により花開いていく。こんな雰囲気が醸し出せるまでどれくらいの時間がかかり、失敗を重ねてきたのだろうとちょっと目頭が熱くなる。
『コミュニティナース活動は、誹謗中傷を受けることもあった』
前例のないことを始めるとき、地域へのインパクトが大きいとき必ず反発が起こる。それでも、多くの方を巻き込み地域の文化となってきている。
コミュニティナース活動に関わる方の表情は、なんとも言えない優しさや希望に満ちている。 目の前の人が幸せになれば自分たちも幸せになる。
そんな雰囲気がまた雲南に人を惹き寄せる。
矢田明子というにんげん。
雲南での活動を視察する傍ら、ずっと矢田明子というにんげんも見ていた。これを読んでいる本人から「やめろ!」という声が聞こえてきそうである。
コロナパンデミックが始まり、島根県海士町の感染対策を通して初めてZoomで相対した矢田さん。地域活動で落ち込んでいる僕に、一度うちを見にきなよ!と声をかけてくれ、知り合ってから2年以上経っての初対面。
パワフルさばかり目に止まっていたけど、ホスピタリティの塊のような方。
自分の考えも溢れるほどあるだろう。でも相手の立場にたって考え、相手の良い’間’を作ってくれる。当院から視察に行ったメンバーは、矢田の心の手洗い洗車サービスで新車みたいにピカピカになって戻ってきた。
人が動くとき、何かを一緒にやるとき、"ねがい" や "おもい" を相手に伝える、共有することはとっても大切なんだな。
この視察で何度も何度も円をつくって矢田さんと話し込んだ。普段こういう時間を確保できていなかったから、10年ぶりのアカスリみたいにボロボロ気持ちがこぼれ落ち、スッキリした。メンバーからこぼれ落ちたアカの塊を見て思わずみんなで微笑んでしまう。
おなじ次元
雲南での活動をみて、”次元が違う” とか ”矢田さんがいるからできる” という言葉で片付けるのは簡単だ。
でもどこまで行っても自分たちの地域とおなじ次元。おなじにんげん、おなじ日本。でも願いの強さや積み重ねてきた挑戦する姿勢に関しては学ぶべきところは多い。
地域差はあるものの、これから豊かな生活を望むのであれば、コミュニティとの関わりを避けては通れないであろう。雲南には、たくさんの知見と頼もしい仲間がいる。地域のつながりをイチから自分一人で築くのではなく、先人たちからヒントをもらいながら進めていくべきだろう。
また行くんだろうな。
視察を終えて挑戦すると決めたこと。
①地域を知り、まちの人と対話をする。サービスを提供するだけではなく、一緒に楽しみながら創っていく。
②仲間との違いを知り、おたがいの思いを大切にする。少しずつ大志で人が集まる地域をめざす。
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