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僕は、地方の手つかずの果実を頬張るために都心から逃げたのか。

掛川と東京との2拠点生活を選び早半年。平日は病院長+在宅診療部部長として、週末は東京を中心に仲間と会ったり、地方や世界を見にいくサイクルにもだいぶん慣れてきた。※2020年2月末に書いたものです。


地方での生活が深くなるにつれ、同じ日本の同じ日本人でありながら言葉やルール、文化や距離感など少しずつ違うことがわかってくる。そしてその違いは、完全に移住するのと違って移動するたびに違和感として感じられすっかり慣れてしまうことはない。芦田愛菜ちゃんが、関西から上京する時に新幹線で富士山が見えたら関西弁は話さなくなると言っていたのを思い出す。少しずつ自分という存在も場所によってカスタマイズしている。


掛川での生活は、想像以上にすばらしい。
天一、かつや、まばゆい路面店、面白い人が集まるイベントなどは、失った。街のコミュニティに入る合言葉を知らなかった引越して間もない頃は、地域にもすんなり受け入れてもらえなかった。いまだに院内で信用されない場面もある。でも、医師会を始め多くの地域の医療者が声をかけてくれるようになり、病院内でも大きな変革についてきてくれる仲間が増えてきた。行政とも街の未来へ向けてちょっとずつプロジェクトが走り出してきた。地場産業とも面白いことができそうだ。ちょっと生活に慣れた頃に、リーダーシップを学ぶ機会を得て次のステップが見えるようになった。そしてたくさんの人が都心から掛川に立ち寄ってくれる。
そう、半年してようやく一番大きな歯車がほんのちょっと動き始めた。ちょっとした小山を登りきった高揚感が体に溢れている。


すごく面白い言葉をもらえたのはつい先日。
『みやちせんせ、もっと色々コントロールしたいよね。地方でそういう欲を満たしているんだと思う。』 
ここだけ取り上げると嫌味に聞こえなくないが、コミュニケーションの回り道をあまり好まない彼は、ある意味本質をつく直感的な問いかけをしてくれんたんだと思う。
地域のために尽力していると思っていた自分からすると、反射的に否定したくなる内容だった。「あるいはそうかもしれない」と村上春樹風に答えるべきところだったが、そこまで気がまわらず「そうかも〜」と口にするのが当時の僕には精一杯だった。

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都心にいるときは、周囲の美味しい果物はみんなが少しずつ採ってしまっていてお腹いっぱい食べられることは少なかった。自分は特別な資格やスキルもないし、大きな声で叫んでも都会の喧騒の中では、すぐに叫んだことも不確かになってしまった。
たまたまモビリティは高い方だったので、地方に行ったらたくさん実がなっていて好きなだけ採取してちょっとした小山の頂上で頬張っている。
表向きには医療崩壊しそうな地方を助けに二拠点を始めたと言いながら、本当は自分がお腹いっぱい果実を食べるために掛川に来たのかもしれないと思うと、いくら息を吸い込んでも酸素が足りない心地になった。そしてこうも考えた。

地方の美味しい果実は僕がめぇいっぱい頬張っても全然なくならないくらいたくさんあるし、頬張った僕がその分地域にパワーを還元すれば、みんなハッピーになるのではないか。僕は、手つかずの果実を地方に求めて都心から逃げてきたかも知れないけど、それで明日の地域はもっと元気になる。僕が美味しそうに果実を食べているのを見て都心からつまみ食いに来る人もいるだろう。みんなで食べる果実もきっと美味いだろうなあ。そしてそんな仲間と地域に還元できる新しい力を創出するだろう。


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