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和田大輝という人間について

こんにちは、こんばんは、僕を知ってる方も知らない方もnoteの方に飛んで頂きありがとうございます。

このnoteは僕の処女作になるので大事に大事に書こうと思っていたのですがよく考えてみると、僕は文才でも何でも無いので自己紹介を兼ねて僕の大切にしている価値観について書いてみようと思います。

それではよーい、アクション!!!

まず、僕を知らない人に向けて、自己紹介を軽くしときます

自己紹介

名前:和田大輝 ワダヒロキ
身長:184㎝ 体重:75㎏ (背高い)
出身地:博多→東京→兵庫(転勤族でした)
趣味:ラーメン、漫画(キングダム、左利きのエレン)、ハンドボール  

ざっと言うとこんな感じなんですが
どんな人か一言で言うと、、

ネガティブ出身のスーパーポジティブマン

んんん?
とりあえずポジティブの塊ってこと?
って感じですよね          
言葉を一つずつ拾っていくと、、、

ネガティブとは、
周りの目を気にして他人の人生を生きている状態つまり、最終的な判断軸が自分ではなく、   他人にある状態です!

それに対して、
ポジティブとは最終的な判断軸が自分にある
自分の人生を生きている状態を指します!

噛み砕いた言葉でまとめ直すと、
他人の目を気にしながら生きていた
過去を持つ、めちゃくちゃポジティブ
主人公脳マンって感じです

こんな感じで自己紹介を終わろうと思いますが自己紹介が意外と長々となってしまい申し訳ないです

大切にしている価値観

次に本題となる僕の大切にしている価値観についてお話していきます! 

結論から言うと

その大事にしている価値観とは

「他人の人生でなく、      

自分の人生を生きることです」


意味に関しては先程の話と被ってきてしまうのでここは割愛させて頂きます
(簡単に言いますと、全ての言動に対して責任を自分で持ち、他人ごとにならないということ)

なぜこの価値観を大切に生きようと思ったか僕の過去を紐解いていきながら振り返りたいと思います。

他人の人生を生きていた少年期(小6~中3)

僕が他人の人生を生きていたと言っても産まれた時から他人の目を気にしていたわけではありません。他人の人生を生きざるを得ないと判断した大きなきっかけがありました。

それは、、小学6年時の東京から大阪への転校

転勤する前、東京での小学校生活はスポーツもできて、学年のムードメーカーでクラスの中心のような感じでした。なので関西にいってもまた同じく人気者だろうなと思っていました。
そしていざ関西に来てみると当たり前ですが、自分の東京での立場などは一切考慮されないのです。
そんなことを知らずに学校生活初日に
妄想を膨らましながら登校しました。 
そして教室に着き
クラスメイトにちやほやされると思いきや、、

僕の話す標準語に対して

「なんか話し方おかしいよ」

巨人の坂本勇人選手の下敷きを見て

「お前、巨人ファンなのかよ」

(周りは阪神ファン)

今までの自分の中のにあった全ての当たり前が

どどどどどどどど   と崩れていきました。

帰り道にこのままでは人気者になれず、
親に心配をかけると思い

今までの自分の全てに蓋をしました。

そして、次の日からは皆の求める自分になりきりました。
皆が話す関西弁を必死に聞き取り意味を調べ、
下手くそながら関西弁を話し出し
巨人ファンを公言するのを辞め、
特に応援している球団は無い野球ファンとして振る舞い始めました。

ここから僕の他人の人生は始まったのです

僕はただ自分のアイデンティティでもある、全ての言動に対する責任から逃れたかっただけなのです。傷つきたくなかっただけなのです。なので他人の人生を生きることは非常に楽でした。全ての言動・行動が周りの環境によるものなので否定されたとしても自分は何も傷つかないのです。そこでさらに自分の立場を上げるためにも僕はクラスやコミュニティのキーマンを抑えてそのキーマンが求める言動を取り続けました。そんなこんなで僕は4年近く自分が傷つくのを恐れ、責任から逃れ続けた結果、周りの求める和田大輝を演じ続けてしまったのです。
(ちなみにこの時は人生こういうもんだと思い普通にめちゃんこ楽しかったです。)

この4年間を振り返ると、びっくりするほど何も残らないのです。(他人の人生を生きるのでなく自分の人生を生きるという気づき以外は)

なぜなら、前述と被りますが、全ての言動意思決定軸を他人に置き責任を取ることから逃げていたからです。後悔しようにもできない。できることと言えば周りの環境のせいにすることしかできないのです。後悔できない期間がこんなにも失敗も成功もない密度の薄いものなのかを痛感しました。

本当に自分の意思の無い空白の期間でした。

空白とは言いましたが、
幸せの定義は人それぞれなので
あくまで僕の場合、この期間を今は空白の期間と捉えているので、たぶん僕の幸せは他人だけではなく、自分が自分らしく生きるというのも必要な要素の一つだったのです。

このことに気づいて以降自分の人生を生きる決意が固まったのです。

(*ちなみに全てにおいて自分が意思決定軸を持ちたいわけではありません。僕の中では自分の意思決定軸が最終他人にある場合も全然問題ではありません。つまりしっかりと自分の全ての言動に責任を取りたいということ。)

とはいえ、僕はどうやら弱い人間なので、まだ多少周りの目を気にしてしまっています。ですが大事な決断は周りを頼りながらではありますが最終的な判断軸持ち、責任を持てるようになりました。

これからも自分の言動に責任を持ちながら、失敗・成功の溢れる濃い人生を送りたいな~と思うと同時に自分の人生が生きにくい環境にいる人たちが生きやすい世界を創りたいなぁと思います。

長くなりましたが、つたない文章を最後まで読んで頂きありがとうございました。  ひろを









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