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KAWSとアートと資本主義

KAWS Tokyo Firstが10月11日で終わろうとする中、遅まきながら見に行った。

自分にとってのKAWSといえばやはりまた高校時代に遡ってしまう。90年代後半、ファッションブランドであるアンダーカバーとのコラボレーションしていたKAWSのステッカーがRelaxの付録についていたのが最初の出会いだ。その後もRelaxでは度々KAWSをフィーチャーしていた。

Futura やStash,Deltaといったストリートアーティストは今や社会でも市民権を得ていて、かなり知っている人も多いのではないだろうか。そんな中の1人がKAWSだった。

KAWSのアートスタイルはかなりアンディーウォーホルに似ている。まずブランド商品のポスターに自分のデザインしたキャラクターを描いていくことで、商業とアートの融合をもたらした。

次にアンディ・ウォーホルがエルビスやマリリンモンローといったリアルな人物をサンプリングしたのに対し、KAWSはアニメーションのキャラクターをサンプリングした。

また、アンディーウォーホルは幅広いアーティストともコラボレーションしそれは主にアメリカのアーティストが中心だったが、KAWSは日本のアーティストとも多くコラボレーションした。

このように初期のKAWSはアンディーウォーホルが行ったアートの商業化を進化させたと言っていい。特にアンダーカバー、へクティク、ベイシングエイプといった日本のブランドとのコラボレーションが、裏原宿を中心としたブランドを追う日本のキッズの認知の素地を作った。

上記の中でもKAWSが広く認知されたことの要因としては、既に知名度のあるアニメのキャラクターをサンプリングしたことにあるだろう。それが作品のポップさを強め、印象に残る作品が多い。あの有名キャラクターと似てるけど少し違うというのが非常に面白かった。

ストリートブランドが、ハイブランドをサンプリングして面白がるのと同じように、KAWSはミッキーマウス、スヌーピー、シンプソンズ、スポンジボブ、スマーフなどアニメをサンプリングしている。

特にベイシングエイプとのコラボレーションの意義がKAWSにとっては非常に大きかったと思う。当時のエイプのプロデューサーであるNIGOは猿の惑星のキャラクターをサンプリングしつつ、ファッションもアメリカンカジュアルをサンプリングした商品が多かった。

NIGO自体が日本のファッションでアンディー・ウォーホル的なアプローチを取っていたため、KAWSとも親和性が高かったと言えるだろう。KAWS自身もファッションブランドとしてOriginal Fakeを一時期行っていた。

エイプはファレル・ウィリアムズやカニエ・ウェスト等アメリカのラッパーに受けて、米国に持ち込まれるわけだが、その際にKAWSの米国での知名度もそのような逆輸入の形で上がった部分も大きかったのではないか。

KAWSのこうしたアニメーションのサンプリングと日本のファッションとのつながりの要素が今再度認知されている理由だろう。アジア市場が大きくなる中で、日本のファッションと一緒にKAWSがアジア諸国に輸出されている。

2021年春夏のコレクションでは日本を代表するブランドであるSacaiやコムデギャルソンとのコラボレーションした商品を出している。加えて、KAWSは数年前からユニクロとのコラボレーションも続けている。こうした積み重ねが現在のアジア、ひいては世界でのファッションシーンも含めた認知につながっている。

加えて彼の作品はソフビ人形やベアブリックといったトイとして比較的安い値段で所有できることが大きい。つまりアートを商業製品とすることでその所有の敷居を下げ、民主化している。これも対象がアニメのようなポップなものだからこそできることだ。

サンプリング対象が有名なアニメーションであり、通常のポップアート以上に商業製品に落とし込みやすいことが、よりその作品モチーフを流通させやすくしている。村上隆もその点に気づいており、現在同じ戦略を取っていると思われる。

KAWSや村上隆がやろうとしていることは、アートを商業システムに対応させることで認知を高め、その結果として自身の手がける作品の価値を高めようという戦略だ。

アートの市場価値が、認知と希少性によって生まれるとすれば、商業的な「製品」の形でアートを流通させ、民主化することで認知と評価を高める一方で、自らの手で手がける「作品」については数が限られるため、希少性が上がると言った具合だ。これはアートの「マーケティング」であり、「ブランディング」であるとも言えるだろう。

ファッションブランドが現代アートのアーティストとコラボレーションするのは、ただ単に、ファッションのデザイン性を高めることが目的ではなく、アーティスト自体のブランドエクイティを借りる行為であり、一方でアーティスト側にはファッションという形で自分のアートモチーフが流通することで自分の作品のマーケティングにつながる。

同じ文脈で美術展示で写真撮影を許可し、インスタグラムなどに上げることを認める行為には3つの意味がある。1つはそのSNSアカウントのブランディング、2つめは美術館による展示入場を促すためのマーケティング、3つめはアーティストの作品自体のマーケティングだ。これもまたアートを流通させるためのマーケティングのひとつなのだ。

こうした現代におけるアートのデリバーのあり方に関する変容は「民主化」というより、「資本主義化」なのかもしれない。



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