見出し画像

VRと社会の変容の可能性に関する考察

ヴァーチャルリアリティ(VR)の市場が立ち上がり始め、現在はゲームでのユーザーが多いかもしれないが、VRチャットなどのVRのSNSなども普及し始めており、今後さらにデバイスの価格が下がり、小型化すれば、その普及はもっと本格化するだろう。映画「Ready Player One」はVRが社会に普及した後に何が起こりうるのかの可能性を示したと言える。

今回はVRの普及に伴い、社会がどのように変容するかといった点について考察してみたい。

本人確認済VRと匿名性維持VRの二分化

現在のVR世界はインターネット黎明期と似た状況なのではないかと思う。全ての行為が実在性と紐づく現実世界に窮屈さを感じた人たちが、匿名性による表現の自由を獲得するためにインターネットに没入していったように、現在ではVRに向かっているのではないか。インターネットが普及して30年近くが経ち、オンライン上でリアルとひもづくサービスが普及し、本人確認によって匿名性が失われた領域が増えてきており、匿名性でのコミュニケーションを楽しんでいた人たちには窮屈になってきているということでもあると思う。
インターネットの世界での秩序が法によっても規定され始める中で、VRの世界を支配する法はまだない。だからこそ自由が獲得できていると言えるのではないか。
ただし、インターネットがそうであったように、VRの世界が商業化していくと、そこにはお金が流れ、実用性を高めようという流れが生じ、リアルとの紐付けが起こってくる。VRの世界で広告が打たれ始め、リアルの本人と紐付けたサービスが普及することでマネタイズが加速し、民主化が起こるといった流れが生じるだろう。FacebookがOculusを買収し、VRに投資しているのもこの方向性を考えると納得できる。この場合、VRにおけるアバターもなるべく実在の本人に近づけた形する方向性が考えられる。つまりバーチャルな世界に実在する自分のツインを作るという発想だ。欧米ではVRのアバターを自分のリアルな姿に寄せようとする傾向が強いと聞く。
一方で匿名性を愛する人たち、VRが持つクリエティビティの可能性を信じる人たちは自由な世界を作ろうとするだろう。自分のアバターは漫画のキャラクターかもしれないし、重力を無視した建築が無数に並び、毎日パーティーやイベントが行われるだろう。アバターを着飾るパーツが売買され、VRモデリングアーティスト、VR建築家やVR世界での著名人も出てくるだろう。現実では体験できないことを楽しむ、新しいタイプのエンターテイメントが生じる。日本ではこちらの傾向が強くVtuberなどもこの流れである。すでにVR チャットでは皆が好きなアバターを着て、現実にはないような世界を動き回っている。


上記のようにVR世界もリアルな個人の人格と紐づいた世界と、匿名性による世界の2分化が起きるのではないか。両者は別々のプラットフォームで運用される可能性が高い。実在性を紐付けるアカウントと匿名性を担保したアカウントが違うのは、今のインターネットにおいても同じだ。一方で特にリアルな個人と紐づいた世界では、インターネットと同様のなりすまし問題なども課題として発生するだろう。

VR世界での仮想通貨普及

前述の通りインターネットはリアルと結びついている範囲でまだ国家の影響が存在する。一方でVR世界では国家によるアクセス制限を除けば、完全なる無政府状態の世界が立ち上がってくることになる。しかもインターネットと違うのは、身体性をバーチャルな世界で保持し、活動できる点だ。つまり、もう一つの世界を構築し、そこに「住む」ことができるということだ。その際の価値の交換手段として仮想通貨は再度注目されうるのではないか。現在のリアルの世界には既存の国家が規定した貨幣価値が存在するためにその価値との紐付けの中でしかその価値を規定し得なかったが、VRでは一から新しい世界を作ることができる。そこで交換される価値もその世界で完結するのであれば、必ずしもリアルな世界の貨幣価値と連動する必要はない。その世界でだけ完結する通貨を作ることができ、その価値づけもリアルに縛られないといったことが可能であるはずだ。FacebookがLibraの構想を進めたのは、どちらかと言えばリアルの本人と結びついたVR世界で流通する通貨としてLibraが流通する姿を描いている部分もあるのかもしれない。しかし完全にリアルと切り離された匿名の世界であれば仮想通貨による新しい貨幣の流通をVR世界ごとに設けることも可能になるだろう。それはあたかもオンラインゲームで稼いだコインのような存在だ。匿名のVR世界は生活のゲーミフィケーションとも言えるかもしれない。

性別や年齢という概念がさらに曖昧になる

特に匿名性の元に動くVRChatのような世界では男性でも女性のアバターを着れたり、ゲームキャラクターのアバターを着れたりと自分の実際の人格と異なる姿を演じることができる。一方で将来リアルよりVR世界で過ごす時間が長くなる人も出てくるだろう。実際に現在でもVRチャットのコアなファンはVR世界の1日の滞在時間の方が長い人もいる。こうなってくるとリアル・VR世界の主従の逆転が起こり、演じていたアバターが、本当の自分の人格を占めるようになってくる可能性がある。そうなってくるとリアルの世界においても性別や年齢といった壁が、精神的に取り払われていくといったフィードバックも起こるのではないか。
例えばVRの世界で女性を演じている人が性格としても女性化していき、リアルの世界でもそちらの人格が支配していくということが起きうる。VRの世界で多様な経験をした子供の方が、大人より成熟した考え方を持ちうるということもあるかもしれない。匿名性が担保されたVRのアバターでは年齢を偽ることも可能である。端的に言えば、VRは人格の多層化をもたらし、どの人格がメインかは、自分を占有している世界の長さによって規定されるのではないかということだ。

リアルの価値の再発見

このようにVRの世界が我々の生活の中に深く入り込んでくると改めてリアルの価値が見直される。非現実の世界を生きられるようになることで、リアルの世界は相対化される。匿名化、非現実のVR世界ははじめのうちは機器の価格や情報アクセスの優位性から比較的高い所得層が中心に利用していくが、ある程度までデバイスの価格が下がり、コモディティ化したフェーズでは、Ready Player Oneで描かれた世界のように低所得者層が辛い現実から目を背けるためのツールになっていくかもしれない。そうなっていくとリアルにおける自然のテクスチャーや食物の希少性が相対的に高くなっていくという、自然の価値の上昇が起きるだろう。VRの世界では危険な体験を擬似的に感じたとしても死ぬことはなく、リセット可能だ。一方で過酷な自然の中で感じる危機は、本当に命を落とす可能性を孕んでいる。そのような「生」を感じる体験の価値が再度発見されることになるのではないか。非現実を生きられるようになることによってリアルを生きることの価値の重さに気づくということだ。この点はReady Player Oneでも伝えようとしていたメッセージの一つだろう。


引き続きご関心あればサポートをお願いします!