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移動と心地よさ


 人はどうして携帯ばかり眺めるのだろうか。
 電車の中を見渡すと、大人も子供も年配者も携帯を見ている。僕の記憶では、ちょうど10年前までは、電車の中であっても、本や新聞を読んだり、ただぼうっと窓の景色を眺めたりする人たちがいた。
 イヤホンで音楽を聴いている人でさえ、音楽の世界から導かれる心のイマジネーションを楽しんでいる様子であった。


 これは僕の直感なのだが、人類史200万年のほとんどが狩猟採集生活を行っていたのもあり、人類のほとんどが古来より、森の中を動き回り果実や獲物を探し求めていたからではないか。移動生活により転々と住処を変えることで常に新しい風景が広がっていた、常に移り変わる風景と常に気のしれた他者が隣にいた、

 この名残りとして、この移動の代わりとして、現代になって人は携帯の画面上の動的なものに依存してしまっているのではないか。しかしそれは画面であり、移動の代わりにはならない。


 さらにかつての移動生活では、移動に基づく即興生活の中で、生き延びるためにあらゆるものを創造する必要があった。例えば、弓矢や罠や呪術、歌や服や簡易な家などである。人類史のほとんどは言葉ではなくて「うた」で会話していたとも言われている。


 人類は農業を発明し、約1万年前から定住生活を始めた。その結果、移動し続けることができなくなったが、その代わりに高度な文化を発明した。農作業をするかたわらで、文字を発明し、高度な家や集落を築いていった。宇宙的な暦、稲作の収穫時期、そういった偶発的な一日に、人々は祝祭的な意味を見い出し祭りを作っていった。しかし祭りとは、狩猟採集生活者たちにとっての日常であった。つまり太古の名残りとして、移動生活での日常を、定住生活者たちは、年に数回の祭りへと組み込んだのだ。


 近代になって資本主義が発明された。それは人類が地球上の各地で作り上げていった文化的なものを資本化(効率的生産化)することをも意味した。かつての工芸品などは、ひとりの職人が1から10までを一貫して作り上げていた。しかし、近代化によってこの工程が分業化された。つまり人々から創造性が必要なくなり「物を作る」ことが失われていった。

 現代になると、物を作ること=創造、ではなく、労働者たちは分業化した労働(単純労働)で賃金を得て、いかに消費するか、いかに人と違うものを消費するか、つまり、大きな枠組みのシステムの作用によって消費者として生活するように仕向けられていった。能動的な移動と創造性が失われていき、その反面、膨大な情報に受け身になり、消費者として振る舞うことが現代では主軸になっている。そして人々の目から活力が消えていく。


 話しが脱線したが、人の身体は移動を求めている。そして、本当の移動を求めている。携帯の中では、画面が動くが、足や五感を使うことはない。また、能動的ではなくて受動的に情報を消費している。


 僕は移動が好きだ。旅に出ていると、旅の本質が移動であることがわかる。いいホテルに宿泊したりすると、ホテルの部屋についつい長居してしまうが、その時、僕は旅をしていない。いらいらしてくるからだ。


 僕はそんな時、すぐに外に出る。少し腰が重いが、外に出て歩き始めてすこしすると、僕の意識が変わっている。見知らぬ街のすみずみを、現地の人しかいないような路地のすみずみを歩く。すると、いらいらは消え、心が躍動し、心地よくなってくる。歩くときに風景が視野の外を流れている。心身ともに高揚してくるのだ。不思議である。


以前、フランス・パリのゲストハウスに泊まったとき、そこは8人部屋だったが、同じ部屋だったオーストラリア人の女の子が一人、いつもベッドで携帯ばかり眺めていた。「外に出ないの?」と聞くと「疲れたの」と言う。

僕は毎日、朝からいろんな場所に行きまくっていたが、ゲストハウスに帰るとこの子はいつも寝ている。もう三日もベッドに横になっているので「携帯で何してるの?」と聞くと「ママとメッセージしてる」と言う。

 僕はお腹がすいたのでパン屋に行こうとしたが近くのパン屋を外から見てると店内が混み合っているようで、とりあえず空腹をまぎらわすためにスーパーでクッキーを買ってホテルに戻った。

 「これ一緒に食べようぜ。で、あとでバスティーユ広場でも行こうや」と言うと、
 その子は飛び起きてとても嬉しそうにクッキーを食べ始めた。
 そしてしぶしぶといった感じで一緒に外に出てくれたのだ。すると泊まっていたホテルから広場まで歩いていく途中、移民がやっている店、服屋やローストチキン屋、ピザ屋、アフリカ料理屋の前を通っていくと、テンションがだんだんと上がってきたのか、急にその子は鼻歌を歌いはじめた。


 『暗闇に幼な子がひとり、恐くても、小声で歌を歌えば安心だ』ードゥルーズ&ガタリ


 その時は昼間だったし、彼女は子供ではないが、例えば人は怖いところに足を踏み入れるときに、そこを新しい快適な場所にしようと鼻歌を歌ったりする。
自分の領土を広げていくようなこの感じだ。これをジル・ドゥルーズは『リトルネロ』と呼ぶ。
そして心地よい場所でも人は鼻歌や歌を口ずさんだりする。
これは鳥が鳴いて仲間に自分の位置を知らせたり、自分のテリトリーを広げたりするのと同じ原理なのだ。

 自分の「いつもの場所」に留まろうとする力はとてつもなく強いものだ。そこが、その状態が、その人にとって、とても窮屈であったとしても、ある種の快適さがあるのだろう。
 オーストラリア人の女の子は外国が怖かったのだと思う。外国に初めて来たと言っていた。

 もしかしたら、移動というのは、いつもと違う場所に向かっていくことでもなのかもしれない。
 それは「いつも」から随分かけ離れていたり、「いつも」の近くにあるものでもある。

 この「いつもの場所」の重力は強くてかといってちょっとしたことがきっかけで、そこから逃れることができたりする。
 そして「いつもの場所」から逃れることは、実は楽しくて自由で、活発で爽快感を得たりするにもかかわらず、どうしてか僕も含めてこの「いつもの場所」に執着してしまうことが多々ある。 

 きっとその子は、ベッドの上で母親と連絡を取ることで、自分の殻にこもっていたのかもしれない。それは小さなリトルネロであって、その時の彼女にとってゲストハウスの狭いベッドの上がまさに自分のテリトリーだったのだ。しかし外にも出たかったのだろう。なぜなら側(はた)からみてあきらかに退屈そうだったからである。

 「いつまでパリにいるの?」
 「あと3週間はパリにいるの。来週は私の誕生日だから一人でディズニーランドにでも行ってみようかな。ああ、ママが恋しい。」

 バスティーユ広場からホテルへの帰り道にこんなことを言っていた。僕はそのあとバスでリヨンに移動した。僕もちょっと勇気を出してパリから別の都市に移動してみようと思った。そっちの方がわくわくするからだ。

その子にはそれから会っていない。金髪の目の真っ青な可愛らしい女の子だった。

 移動には時折、勇気がいるものだ。
 いつもと違うところに行ってみる。すると目の前が開けてくる。移動してしまうと移動の前で躊躇して立ち止まっていた自分がバカらしく思える。

 しかし移動というものは本来、単純なものだ。勇気なんていらないものである。自分の「いつもの場所」であっても散歩してみると、身体が活性化し、ふだん気がつかないものに気づいたり、流れゆく風景が心地よかったりする。
 歩くほどに、嗅覚や視覚、五感がするどくなってきて、風の匂いを強く感じたりもする。
 それと同時に「いつも」が姿を消し、新しい何かをひらめいたり、足元の野花の存在に気づいたり、いつも通らない道を通ったりするものだ。
 つまり、移動によって、自ずと新しいものに、未知のものに接している自分がいる。


 僕は先日、タイに滞在していた。バンコクからアユタヤという古代遺跡がある都市に移動にしようとしたのだが、バスで行くかタクシーで行くか二日ほど決めあぐねていた。
 まるで二人の女のどちらが好きなのかみたいにとても迷っていた。
 しかも今いるバンコクのカオサン通りが「居心地のいい場所」になっていたからだ。もう五日間もカオサン通りのホテルに滞在し、そこが自分の快適ゾーンになっていた。しかし違う場所に行ってみたかった。快適であるが、飽きも感じていて、なんとなく移動したくなっていた。

 そしてバスでもタクシーでもなく、列車で行くことを決めた。
 二人の女のどちらかを迷ったらどちらも好きではないということは、よくある話だ。
 これは余談だが、DA PUMPのISSAはお洒落で有名であるが、服屋で服を選んでいる時にどっちの服を買おうかと迷ったら、迷った時点で何も買わないと決めているらしい。

 ホテルのチャックアウトの時間ギリギリで列車でアユタヤに行くことを決め、タクシーでアユタヤまでの列車が出ているバンコク市内の駅に向かった。
バンコクからアユタヤまでは2時間ほどで、運賃は15バーツ(60円)だった。
2時間も列車に乗って60円とはありえない値段だ。本当に大丈夫か?
前もって調べたがエアコン付きの席などもあり、5等級ほどに分かれていた。エアコン付は300円ほどだった。僕は絶対エアコン付にしようと思い、チケット売り場に行くと、係員にそんな席はないと言われて、少し戸惑いながら15バーツを支払いチケットを受け取った。

 電車を待っている間、もしかしたら、と、劣悪な席を想像したが、実際に乗ってみると暑いだけで普通の列車であることがわかった。そして実際に等級なんてなかった。ネットの情報とは信じれらないものだ。車両の内部は、向かいあった四人がけ席で構成されていて、天井には各車両に五つほど扇風機がついている。僕は扇風機の真下に席を取った。

 列車が走り出すと外からの風が気持ちいい。途中、5つほどの駅に停車したが、その都度、飲み物や弁当を売る売り子さんがやってきた。
窓をぼうっとみると、だんだん田舎になっていき、平野の果てまで見渡せる。天気がよく、少し目を閉じて、また車窓から景色をみると景色は変わっている。
すごく心地よい気分になった。これが旅や。今、旅に出てる。アユタヤに向かってる。僕の視界の外側に、流れていく風景。

東南アジアの爽やかな風。緑の豊穣さ。畑の広さ、森の深さ。人の人なつっこさ。
見たことない植物たち。列車の窓に触れてくる大木の小枝と葉。これが人の自然状態なんかもな。


 何も考えなくていい時、人は何かを考える。それは能動的になった身体の合図だろう。


 大阪から普通電車を乗り継いで熊本県の人吉まで行ったことがある。丸四日かかったが、その道中、僕は何度も夢見心地になった。

 熊本駅に着いたとき本屋で岡本太郎の『青春ピカソ』を買った。
 そこからさらに、くまがわ鉄道、に乗って南下したが、車窓から球磨川を眺めながら本を読んでいるときに、旅の楽しさを知った。
山道を川沿いに沿って進む列車。球磨川の水面は青空と雲を映し出していてその自然が作り出した絵画は常に動いている。
 本の中の世界も動いているし、目を閉じると、恍惚が舞っていて、居眠りを誘う。夢の中の世界も動いている。

 走るにつれて風が変わっていき、匂いも変わる。
 目を開けると、美しい世界が広がり、まさに万物が流転している。
 山の森の中の葉、生き物、川の水、すべてが揺れていて、すべてが移動しているのだ。





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