手段と目的、見失いかけていた1年 【vol.1】
お久しぶりです。初めましての方もいると思うので自己紹介からはじめようとおもう。
ヤノ〆です。読み始めてくれてありがとうございます。
SNSで呟いたりしています。本名です。匿名性が貫き辛い現代ですし。
今は都内の制作会社でグラフィックデザイナーとして勤務している。
来年から20代も後半戦に差し掛かる年齢ですが、なんだ社会人3年目ってこんなもんか。意外と大したことなかったんだなあ。とおもったり。
もともとは情報系の工業大学を卒業し、Webエンジニアとして社会に出たのが2018年。色々と思うことがあり、転職を経て今に至る。
好きなものは甘いものとコーヒー、ポリシーは「我慢は体に毒」、
座右の銘は「人に優しく」とたまに言っている。
最近は動画制作も趣味で始めた。
知っている人もいると思うが、『9 NIGHT RADIO』というコンテンツを今年の2月にリリースした。
新規の撮影のめどが立たないのでいろいろ考えてはいるけれど、興味があればぜひのぞいてみて欲しい。
デザイン業界に入ってからも感じたけれど、Webエンジニアからグラフィックデザイナーに転職した人は、やはり少ないと感じる。
転職の経緯などはちょうど1年前に記事にしていたので、気になる方は下記リンクから。
さて本題のこの記事ですが、withコロナの時代に突入しようとしている今、自分の思考整理のために色々と振り返るために記している。
グラフィックデザイナーとして業務を初めて二年目に突入
デザイン未経験だった僕が、グラフィックデザイナーとして制作会社に入社できたのはかなり運が良かったし、制作会社という特性上、ジャンルにとらわれず幅広い制作物を経験させていただいた1年だったなと改めて思う。
チラシやバナー、ポスター、カタログ、販促ツール、ロゴ、様々な業務の中で、Illustrator、Photoshopをはじめ、InDesign、XD、アドビさんともだいぶ仲良くなった。(まだまだではありますが)
しかし、何より一番感じたのが、理詰めだけでは手に負えない部分がたくさんあるということ。
デザイナーになったばかりの頃は、デザイン=論理で理詰めしていけば自ずといいものが作れる、と思っていた。
でも実際は、論理を通り越して、組み合わせる書体、シンボルのサイズ感、余白の取り方、乱雑なオブジェクトなどの、ほんの小さな違和感を目で見つけられるかどうかがとても大事だったりする。
もちろん、理屈付けはできるものもあるけれど、あと1mm、あと0.5mm、そんな小さな違和感は、黄金比とかそういう理屈関係なく、『審美眼』で調整するほかない。
おそらく、もとからセンスがある人=小さな違和感に気づける人なんだと僕は思う。僕にはそういうセンスが備わっていなかったことを、改めて実感した。それと同時に、センスは少しずつでも身に付けられることも知った。
デザイナーにとっての制作会社という特性
少し話は横にそれるが、制作会社という立場に属するデザイナーにはある特性があると思う。
それは何かというと、
様々な種類の案件に触れられる一方で、エンドユーザーよりクライアントを優先してしまう
ということ。
もちろん本当の一流のデザイナーならば、エンドユーザーとクライアントどちらともを最高の結果に導く術を心得ているだろうし、説得するための話術も十分に持ち合わせているかもしれない。
しかしやはり、エンドユーザーよりも先にクライアントを納得させることに目が行きがちだ。
特に、クライアントに成果物のイメージがある場合は、そこからかけ離れたものを提示することで、業務がスムーズに進まない場合だってある。
クライアントも人間だ。デザイナーじゃなくたって、自分の思ったものを形にしたい思いが強いこともある。
そしてまさに僕の場合、そうなってしまっていた気がする。
そもそも、クライアントの前に社内のデザイナー方や、ディレクターをまず納得させて、その上でクライアントまでやっと成果物が到達する。
それぞれ感性が違うのだから、それらを全て完璧に納得させるクリエイティブはやはり難しい。
ただでさえ逼迫するスケジュール感の中、最大公約数とも呼ぶべきクリエイティブを限られた時間内に導き出すのは並大抵のことではないと思う。
もちろんそれを目指してやっていることに、1ミリの嘘もないが、時間をかければそれが導けるという保証もないのだから、どれくらい粘るか、どこで方向転換するか、そこらへんの管理も含めてデザイナーというスキルなんだと思う。
そうした業務の中で、いつしか
手段と目的を見失っていた。
もともと、僕はデザインに課題解決のとてつもない可能性を感じてデザイナーを志した。
どんなにいいシステムをつくろうと、どんなにいいサービスを作ろうと、それが使われなければ意味がない。
どんなにいい製品を作ろうと、それが売れなければ、良さが伝わらなければ、わかりやすくなければ。
最終的に淘汰されないためには、デザインの力は絶対に必要だと、そう確信していた。
その気持ちに今も変わりはない。
ただ、振り返ってみると、仕事での制作活動はやはりそこまで考えきれていないこともあったし、実力が足りなかったと言わざるおえないかもしれない。
そしてそんな日々の中で、デザインを課題解決の手段としてではなく、
生活のためのスキルとして捉え始めてしまっていた。
withコロナでリモートワークが解禁
弊社でも、世界的なコロナウィルスの影響を受け、リモートワークが解禁された。広告業界への影響ももちろん大きく、仕事が減っている厳しい現状もある。
今の緊急事態的状況が解消されたとしても、おそらく世界中の社会とビジネスモデルは大きく変革を遂げるはずだ。リモートワークの有用性が再認識され、日本の場合は東京一極集中だった人口も、地方に開放されていくかもしれない。
そんな中で、通勤時間がゼロになったのは、自分の中では大きく、業務の後に、自分のこれからについて考える時間が確保できるようになった。
思い返せば、随分とそういった思考から遠のいてた気がする。
結局自分は何がしたい?
一年ぶりにまたこの問いにぶつかってしまった。
デザインを課題解決の手法として身に付けたい。そんな思いで業界に飛び込んだのが一年前。頭で思い浮かべるデザインをアウトプットするスキルはだいぶ身についてきた。
突き詰めればまだまだではあるけれど、それを磨くための考え方はわかったし、もうコンパス無しでの砂漠の旅にはならない。
じゃあ次はどうする。
スキルセットは手に入りそう。それをどう使う?←今ココ
大成している人の多くは、自分の未来の解像度が桁違いに高い。
明日何をするかはもちろん、中長期的に自分が何をしていて、社会がどう変革していくか、そこでどう立ち回るか、抜け漏れなく深く思考している。
一年前の僕は、まだまだそこが甘かった。
つまり今自分が考えるべきは
Webエンジニアとしての経験とスキル
グラフィックデザイナーとしての経験とスキル
これを次何に使うか。
これを使ってできることの中で、
自分は一体何が一番やりたいか。
当然だけど、挑戦しない人間から人は離れる。
理由は簡単で、応援のし甲斐がないから。
思い返せばここ半年くらい、スケールの小さい箱ばかり見ていた気がする。
できそうなことを探して、できそうなことをやる。
自分で思うけれど、見ている側は退屈だろう。
この段階でここに立ち返れてよかった。ただただデザインを業務としてこなすだけの時間に人生を奪われてたまるか。
これからやりたいことに関しては、もう少し熟考して、次回の記事にまとめたいと思う。
最後まで読んでくれてありがとう。
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