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カフカス戦線 最後の審判

1914年10月、オスマン帝国は
第一次世界大戦に同盟国側で参戦する
ロシア国境のカフカス戦線、
アラビア、シリア、バレスチナの中東戦線、そしてイラク戦線と
新たに三つの戦線が加わる。
オスマン帝国にとって一番重要だったのが
宿敵ロシアと対するカフカス戦線たたわけです。
そのため開戦時、青年トルコ人革命の指導者にして
オスマン帝国陸軍大臣として
軍を掌握しえいたエンヴェル・パシャは
ここにハナン・イゼット・パシャ率いるオスマン第3軍を配置
主力の第9軍団、第10軍団、第11軍団の3個軍団を、
エルゼルム地区に集結させた。
一方ロシアは2個軍団を配備していたのですが
対ドイツおの主戦場である東部戦線から離れていた。
編成はオスマン軍より少なく、
兵力はほぼ半分程度となていました。
そのためオスマン帝国の旗のもとにデュルク系民族を
統一するという、大トルコ主義を掲げていたエンヴェル・パシャは
ロシアを打倒し、カフカス山脈を踏破して
当時ロシアの支配下だったデュルク民族発祥の地である
トルキスタンを占領するため軍を進行させるのですが
しかし先に攻撃を仕掛けたのはロシア軍でした。
1914年11月2日、
イラリオン・イワノビッチ・ボロツォフーダシュコフ率いる
ロシア帝国カフカス軍が、エルゼルムへの侵攻を開始します。
ただこの攻撃はオスマン第11軍団と第9軍団によって撃墜されて
押し戻され
11月の終わりまでに戦線は国境から
エルゼルムに向かって25キロの地点で膠着する。
このロシア軍の攻撃にエンヴェル・パシャは激怒してしまい。
自らオスマン第3軍を率いて反撃にでようとします。
しかしこの時季節はすでに真冬、しかもこの地域は標高5165m
のアララト山をいただく2000mを超える高地となっていて
しかもまともな道は、カリムと
エルセルム間をつなぐ一本道しかにとう状況
そのためオスマン第3軍司令官エンヴェル・パシャと
第9軍団司令官アフメト・フェヴズィの2人は
今攻勢に出るのは無謀と反対した。
しかしエンヴェル・パシャはこの2人の意見を無視

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