見出し画像

長男の中学受験を終えて。

長男の中学受験の振り返り。
自分として大事なことだから、どこかに書き溜めておきたくて、
はじめてnoteを使ってみようと思う。
誰かに見てほしいというよりも、あくまで個人的な記録にするつもりで。
願わくば、将来、長男に読んでもらえたら、嬉しい。
(※以下は、あくまで個人的な中学受験の見解ですので、ご理解いただければ幸いです)

まず、長男はよく頑張った。本当に。
見事に第1志望に合格したのだから。
が、父親としては猛省。親としてのメンタルができてなかった。
受験までにひどい言葉を長男に投げつけた。何度も。塾からも、それだけは絶対にダメです!と言われていたにも関わらず。親として未熟な証拠だ。
 
「やる気ないなら、受験なんかすぐやめて、地元の中学にいけ」

「こんな問題をいまだに間違えるなんて、失望したわ」

「お前はいつ本気になるんだ?周りはもうみんな全力でやってるぞ。あの学校に行きたくないのか?」

「おい、受験なめてんのか?コラ」

「は?なんて?声が小さくて聞こえねー。はっきり言ってみろ」

まだ他にもあるが、
すでに中学受験での使用禁止用語の
オンパレードである。

今更ながら、親として
申し訳ないし、情けないし、恥ずかしい。

思い返せば、6年生の夏前から夏終わりで、サピックスからの転塾を考えたり、そもそも受験を続けるのかどうかを考えたり、親は揺れた。特に父が揺れた。成績が伸び悩み、まだ本気にならない長男を見て苛立ち、父親として中学受験を最後まで走り切る自信がなかった。とはいえ、じゃあ、父が具体的な対策を何かやったかといえば、特に何かをしたわけでなく、ただイライラしていた。長男の力も信じていなかった。向いてないんじゃないか、そもそも学力が届かないんじゃないか、やる気がないから厳しいんじゃないか、ネガティブな思考と感情が駆け巡った。妻からも自分だけだと何をどうしたらいいかわからないし、もっと協力してくれないと困る。具体的に考えないで、頭ごなしに否定するのはやめてくれと、私に対する強めのクレームを受けた。それぞれストレスが溜まっていた状態だった。それでも、親子で話し合い、長男は転塾もせずに受験を続けるというので、続けることにした。夏期講習に毎日頑張って通っているにも関わらず、結果が出ない大変な悶々とした夏だった。塾の先生にも、夏はもうちょっと頑張れると思っていたけれどなどと言われて、親も下を向いてしまった。受験の夏を制することはできなかった。しかし、もうやるだけ、やるしかないと思った。

6年生の秋から、志望校を絞るために、各学校の説明会や文化祭にいくつか行くようになった。男子校、共学校、ミッション系、仏教系で、だいぶカラーは違う。自由奔放か、ガチガチに縛るのか、出口の大学進学実績含めて、それぞれの学校に特色があった。学校に変なキャッチコピーを付けてる学校もあり、おもしろかった。
しかし、いちばんわかりやすいのは、その学校の文化祭などに出向き、校舎や生徒の雰囲気を直接見て感じることだと思う。少なくとも、子供にとっては、直感的でわかりやすい判断軸になる。
長男といくつかの学校の文化祭や説明会に行った。あそこは校舎が汚い、あそこは学祭がショボい、あそこは駅から遠い、あそこはなんか嫌だ、キモい、などシビアだった。

長男に良い学校の判断基準は何かと聞いたら、こう答えた。
・校舎がきれい
・自宅からできるだけ近い(電車だと人が多すぎの新宿を越えない)
・学校や学祭が楽しそう
が、主な重要判断項目に挙げられた。
親がやはり気にするであろう出口の進学実績がいいとかは、
一旦、横に仮置きつつ、受験する学校を絞っていった。
となると、最終的に3つくらいの学校に絞られた。

第1志望校。
上の条件を十二分に満たす共学校。
自宅から徒歩5分。校舎は新校舎含めてダントツにきれい。なにより文化祭がキラキラして見えて超絶に楽しそう。皆、それぞれのクラスのオリジナルTシャツを作って着ていて、各催しコンテンツも充実していて(予算もかかってそう)、来客に対する接し方も良いし、なんといっても生徒たちの表情がとても生き生きしていた。父である私もこんな学校で青春を謳歌したかったと、心の底から思った。やはり共学だからか華やかで雰囲気も良く、年々進学実績と共に人気も上がっていて、地元民からも良い学校との定評もあり、親としてもここなら通わせたい!と思えた。しかし、簡単な学校ではなく、長男の成績では、なかなかハードルの高い学校であったが、当初からここが圧倒的な揺るぎない熱望校ではあった。

第2志望校。
それなりに自宅から近い共学校。自転車でいけなくもない。
近年、進学実績も伸ばしていて人気も上がってきている。校舎もそれなりにきれい。雰囲気も悪くなさそう。偏差値もなんとか届きそう。
マイナスはほぼないが、圧倒的な魅力や印象的なものもない。
2位にランクインだが、1位との差は結構でかい。

第3志望校。
自宅から近い方だけど、上二つよりは遠い共学校。自転車ではいけないか。
校舎は普通。最寄り駅からやや遠い。髪型など規則がやや厳しい。消去法で3位にランクイン。一応、受けるけど、ここじゃなくてもいいかもなと親も思った。

学校は他にもたくさん検討したが、最終的にことごとく弾かれた。
特に第1志望と同じくらい難しい比較的近所の男子校。長男の友達が受けるとも言ってた綺麗で良い学校だったが、学祭がショボいとなり却下。おそらく男子校だからそう見えたのだろう。女子の存在は偉大だ。親としても、同レベル校を2つ目指せるほど過去問対策含めて余裕はなかったので、外した。
また、公立中高一貫校も検討した。が、過去問をみて、あまりに私立と傾向が違いすぎるのと、小学校の内申点も加味されるとのことで、これもなんか読めないので断念。他にも名門大学の新設附属校や、名クリエイターを排出してる男子校なども検討したが、上記の3基準を満たせず、却下した。
星の数ほどはないが、数多ある学校の中から良く検討したと思う。
ギリギリなんとか手が届きそうで行きたい学校は、そんなにない。

我が家の場合は、過去問対策やる学校も上の3つに基本は絞り、特に第1志望に集中する作戦にした。手広くやる時間や余裕もなく、絞ってやる方が効果的と判断した。
あくまで第1志望狙い。万が一ダメなら第2志望。第3志望は保険。
なので、いかに第1志望の合格を勝ち取るかにフォーカスされた。私も過去問を見ながら、どういうレベルのどんな問題が出る傾向かを探り、長男は何で点をどれだけ稼ぐべきか、そのために何をやるべきかを考えた。当然、志望校対策は塾でもやってくれるが、それだけでは長男は足らなそうなのと、夏までに終わらせとくべき苦手分野や科目がかなり積み残されていたり、克服しておくべき計算ミスをやらないといけなかったり、やるべき課題はたくさんあった。

志望校の過去問対策は、6年生の秋から年末にかけて主に取り組んだ。
第1志望校は基本は2科目受験。算数は、そこまで難しくはないが、逆に言えば合格者平均点が高く、簡単な問題を取りこぼすと命取りになる。また国語は逆に難しく、特に論説文が出題されることが多く、大人が読んでも難解な文章で、小学生が読むにはテーマも難しく、なかなか厄介な科目である。国語との選択科目である理科は、一般的な問題が多いが、問題量が多く、長男では全部解くには時間も足らなかった。というか、理科は苦手なので、嫌だと本人が主張した。一応、過去問は解いてみたものの、苦しかった。
第1志望校の過去問は数年分やっても一度も合格ラインに届かず、なかなかに苦労した。第2・3志望校は、やっていくうちに合格ラインになんとか達するようになったが、はじめは合格ラインに届かなかった。
よって、第1志望校は、数年分を2回繰り返してやった。さすがに2回目となると、合格ラインを越えることも1,2回あり、複雑な気分ではあるが、純粋に嬉しかった。妄想なのかもしれないが、「やればできるじゃん」という肯定的な感情が私に芽生えた。これはとても重要なことだった。長男はさすがにその学校の出題傾向が良くわかったよとは言っていた。
そもそもサピオープンなどの実力テストで、第1志望校はなかなか合格ラインに届かないチャレンジ校だったので、そりゃそうだろうという感じで、そこまで焦りはなかったと思う。辛抱強くやるしかないと思っていた。

受験直前1ヶ月前の1月からやっと私の仕事をセーブし、長男と一緒に受験対策勉強を真剣に取り組んだ。それまでは仕事にかまけて、腰を据えてやれてなかった。妻にも、いつからちゃんと見てあげるつもりなのか、と何度も詰められた。
そして、1月からは、正直、やり切ったと思う。なにをいまさらだが、さすがに長男のお尻にも火がついた状態だった。後で聞いたら、本人のスイッチが入ったのは、まさにこのタイミングだった。「さすがにやべえな」と思ったという。遅っ!という感じだが、父も同タイミングで同じくスイッチが入ったので、親子シンクロである。塾は違うが、いわゆる「やる気スイッチ」というのが直前1ヶ月前にしてやっと入ったのだ。
超短期間で、苦手分野や第1志望の傾向と対策の問題をかなりの量をこなした。簡単な問題とそこまで難しくない問題を落とさないように問題を繰り返し、逆に難しい問題は一切やらないことを徹底した。塾の先生にもやる問題のレベルやプリントを相談しながら。受験は難しい問題を解けたから受かるのではなく、みんなができる難しくない問題を落とさなければ受かるんだと、父と子で話して、その作戦を徹底した。少なくとも長男が受けた第1志望校はその考え方が通じると思った。当然、そうじゃない学校もあるだろうけど。それは調べてないし受けてもないから私には知る由もない。毎日やることを決めて、ロボットのようにとにかく量を解いて、採点して、復習して、順番に潰していった。私も午前から午後過ぎまでは基本、家にいて長男の傍にいた。仕事の打合せ合間にも採点したり、復習させたりした。ちょっとでも気になる問題は目を逸らさずに解いてもらった。もし本番で出たらと思うと、見過ごすことはできなかった。さすがにスイッチが入った長男は、文句をあまり言わずにひたすら解いていった。

短期間でも相当量をやり込むと、これだけやってダメなら仕方ないという感情が芽生えて、なにかしら本人の自信や覚悟につながったように感じる。というか、親がそう感じて欲しいというのが正直な気持ちではある。量が質を生むではないが、初めてサピの教材を活かせたと思った。それまでは、日々の膨大なプリント量を処理できず、ただの大きな荷物になっていたが、やっと役に立つことができて、やったプリントたちは成仏できたと思う。トータルで見れば、大半が成仏できてないプリントたちで溢れてたわけだけど。まあ、もっと手前からやっておけば良かったのだが、あの量は1ヶ月間限定ラストスパートだからできたようにも思える。ちなみにサピのプリントは質がいい。やらせて、ようやく知った。よく考えられている。もっと早くやらせれば良かったが、何度も言うが、それは無理な話だろう。思えば、自分の大学受験勉強も、センター試験、今でいう大学共通一次試験の結果がE判定出てからが受験勉強本番で、2次試験までの約1ヶ月の間、生まれてはじめて「死ぬ気」でやった記憶がある。似たもの親子といえばそうだし、ポジティブに言えば、メリハリでもあるし、父は当時から大して成長してないわけでもある。

長男は、算数がわりと得意だった。中学受験で算数が得意なことは大きな武器だと思う。ただ、つまらない計算ミスをよくしていたので、ミスの原因を分析しながら計算問題を毎日繰り返し解いて、ミスを無くすことを徹底した。結果、6年生の1月あたりからかなり計算ミスが減ってきて、塾の日々の算数テストの点も安定し始めた。やっとだ。が、とても良い傾向だった。
また、長男は国語も6年生の後半から急に伸びた。はじめはかなりの苦手科目だったが、コツを掴んだのか、漢字以外の長文読解、特に物語文を得意とした。塾のテストでも高得点をたまに出したりした。文章の読み方、線の引き方、選択問題の潰し方など徹底した。しかし、記述はあまり得意でなく、というか、日本語がまだ拙く苦労した。ゆえに、記述問題は、マル狙いでなく、サンカク狙いで、バツをもらわない作戦にしようと話して決めた。漢字は苦手だったので、とにかく演習を繰り返した。
反対に、理科と社会はなかなかに低迷した。特に理科にはあまり興味がないらしく、覚えるのが辛そうだった。暗記は苦手というか、暗記勉強をしっかりやってなかったので、それでは得点も取れるわけがなかった。それでも、
基礎的でこれは覚えないといけないことは全てやった。暗記は本当に大変だと思う。私も苦手だし、嫌いだ。
最終的に算数は正答率がかなり高まり、ある程度の問題なら、間違わず難なく解けるようになっていた。国語も難解な論説文の読み方にもかなり慣れてきて、漢字の正答率も上がった。理科社会もかなりレベルはアップしたはずだ(やってないと、やればそりゃ上がる説)。
ちなみに算国を主に私が見て、理社を主に妻が見る体制で我が家はやっていた。

受験において、長男の場合は、いかに算数で点が取れるか次第が肝。次に国語の文章問題で取れるか。理科社会はいかに足を引っ張らないかにかかっていた。

だから、第1志望校は、算国での2科目受験が勝負。
2科目受験の2/1か2/2で決める必要があった。2/4もあったが、4科目受験となり、且つ、上位校を落ちた子達が受けにくるので、合格者数も少なく、難易度も上がった。受験後に聞いたが、本人は2/2が本命と考えていたようだ。なぜなら、算数の配点が国語よりも高いからである。確かに。私は2/1が合格者数がもっとも多かったので、この日になんとか1点でも合格ラインを越えてくれと思っていた。過去問をプリントアウトしては、解き、採点し、解説をしたり見たりし、解き直し、親もわからない問題は塾の先生に解説を聞き、を日々繰り返した。

そんなこんなで1月から受験本番がはじまった。

1月は練習で受ける学校がひとつ。4科目受験。まずは合格を勝ち取って自信を得るために、数千人の子達が受験する学校だ。受験料の売上だけでも相当だろう。ここは、問題なく合格。しかも特A判定だったから、良いスタートだった。息子に聞いたら、塾の子は大体みんな特Aだろうなとのこと。確かに同じ塾に一緒に通ってる近所の友達も特Aだったらしい。まず進学しない学校ではあるが、本番に受かるという経験はプラスでしかない。

2/1受験当日。ついにきた。

2/1から2/5くらいまでが、
関東エリアの中学受験ラッシュ。
天国と地獄がジェットコースターのように
日々入れ替わり、展開されると言われてる数日間だ。
どの親と子供にとっても、ドラマが待ち受けている。
中学受験をテーマにした漫画「二月の勝者」を
読んだ方はわかるかもしれない。
まだの方はぜひ。漫画なのでエンタメは入っているが、
それでも中学受験をリアルに描いていると思う。
私は長男の中学受験終わるまでは全部読めなかった。怖くて。

ちなみに、父である私自身も中学受験している。当時、兵庫県に在住で、中学受験したが、本命もすべり止めも普通に落ちた。中学受験する意味も意義もわからず、モチベーションもなく、大して勉強もせず、中堅進学校を受験して落ちた。しかし、さすがにショックだった。同じ塾の子が受かって、自分は落ちた光景を今だにはっきり覚えている。地元の公立中学校に進学したが、高校受験で奮起し、大阪の私立男子進学高校に進学した。が、あまりにハイレベルな学校に進学し、また高校受験の反動で勉強モチベーションがなくなってしまい、生まれてはじめてテストで0点をとるような成績で、これまた苦労したが、その話は本筋ではないので割愛する。話すとこれはこれで長くなる。

話を長男の中学受験2/1当日に戻そう。

親も長男も気分は落ちついてはいた。やれることはやったから、あとはもう受けるだけの精神状態だった。幸い体調も崩すことなく、受験当日の朝を迎えられていた。本人も、もうなるようにしかならないと思っていたんだろう。

2/1午前。第2志望校、4科目受験。
朝、夫婦で車で学校の近くまで送っていき、妻が校舎まで送り、私は車待機。試験が終わる頃にまた車で迎えに行った。長男は割とできたと言っていた。ちなみに車の待機場所やルートは事前に同じ時間にロケハンして決めていた。

家で昼食を食べて、休憩して、午後の受験に備えた。

2/1午後。第1志望校。算国2科目受験。
自宅から徒歩で行けるので親と子の3人で歩いて向かった。校舎の入口で、落ち着いてがんばって!と声をかけて、割とあっさり送り出した。正解に言うと、本人がサクッと行ってしまった。妻は近くで終わるまで待つといい、私は次男や長女が待っているので、家に帰った。そして、無事に2/1受験を終えて、妻と長男も帰宅した。

通常、2/1午前は、割とチャレンジな学校を受ける傾向にあるようだ。
御三家も受けるならこのタイミングだ。しかし、うちはチャレンジはしなかった。あくまで2/1午後が本命であり、2/1午前にチャレンジする意味はなかった。むしろ、2/1午前はなんとか合格をもぎ取っておきたい気持ちだった。

ちなみに2月の受験シーズンはインフルなど流行りやすい時期なので、弟や妹も小学校や保育園を休ませて、私や妻も仕事以外はできるだけ外出を控えて、万全を期した。受験前日に受験校近くのシティホテルに泊まる人たちも多く、各家庭の志望校に懸ける気合と想いが伝わってくる。

2校とも受験当日夜に、
合格発表がオンラインで出る。
その合否により、翌日以降の受験校選びに大いに影響するためであろう。
うちもAプラン、Bプラン、Cプラン、Dプランくらいまでは想定していた。

午前受験の第2志望校は普通にできたらしく、合格発表も本人が自分も見ると言った。一方、午後受験の第1志望校は、国語がかなり難しかったらしく自信ないと言い、翌朝に結果を聞くから本人は先に寝ると言った。
この時、長男の受験は明日もまだ続くことを覚悟した。

2/1の21時。まずは、第2志望校の発表。
親子3人でPCモニターを見つめ、クリックした。

無事、合格。
桜咲く。
おめでとう。

受験後の長男の口ぶりや最近の成績的にも大丈夫だろうとは思っていたが、やはり安堵した。この時点で翌日2/2午前の第3志望校の受験はキャンセルできる。初日に、最低でも第2志望校の合格は欲しかった。第1志望を受けるための下支えする精神安定剤として、機能してもらわないといけなかったからだ。

その後、長男は、第1志望の合格発表を待たずに、就寝。
翌日2/2の受験段取りについて夫婦で軽く再確認した。
ちなみに2/1から2/4までの受験行程の
細かいタイムスケジュール表は妻が作ってくれていた。

2/1の23時。ついに第1志望の発表。
本来は22:30くらいの発表予定だったが、
少し遅れるとの通知が事前に来ていた。

長男は寝ているので、夫婦だけで見ることにした。
妻がクリックしようとしたが、私が躊躇した。
いや、国語ができなかったから自信ないと言っていたとはいえ、第1志望だ。先ほどとは緊張感がやはり違う。全然違う。
今日がダメでも、明日2/2がある。2/4もある。あと2回チャンスはある。
わかってはいるけど、さすがに震える。最大のチャンスは今日だ。

オンラインで、受験番号を入れてクリックすれば、
次の瞬間にはわかってしまうシステム。
便利ではあるが、なんとも残酷である。
前後の余白など一切なく、天国か地獄が、瞬時に突きつけられる。

妻がクリックした。
この人にはどうも躊躇とかないらしい。




そのページには桜が舞っていた。





合格。







すぐには信じられなかった。





長男は国語が難しく、あまりできなかったと言っていた。算数はそれなりだけど、ひとつ計算ミスが後でわかったと言っていた。おそらく間違えてはいけない問題だろう。そこで5点ほどはロスしている。

ということは、運良く合格ラインの、
ギリギリ1、2点上だったのではないか。

まあ、何点でもいいか。もはや。


持ってる。


本田圭佑選手ではないが、長男は持っていた。


なんと初日で第1志望の合格を引き寄せたのだ。


深夜なこともあり、夫婦2人で
想定よりも小さな声で喜び合い、抱き合い、歓喜した。

そのまま、寝ている長男の部屋に行き、
起こして合格したと、長きにわたる受験がいま終わったことを伝えた。

寝ぼけながらも、合格を知り、本人の顔がさすがに綻んだ。
3人で喜び、長男を祝福して労った。

さあ、明日から何しようか何食べたいかとなったが、
長男はなんにもせず、ただのんびりしたいと言った。

急遽、翌々日から温泉に行くことに決めた。

まず、明日はなんもしないでのんびりしよう。
あと、明後日からの温泉宿を探そう。と。

2/2。朝は家族みんなゆっくり起きた。
もし、第3志望を受けていれば、6時には起きて準備をしていた朝のはずだ。
長男はまだベッドで寝ていた。金曜だったが、のどかな土曜の朝ように、
コーヒーを淹れて、静かな朝を楽しんだ。


長男の中学受験が終わった。

しかも、最短で終わった。


正直、初日で終わるとは思ってなかった。
2/2までは最低でもかかるだろうと踏んでいた。
2/4までいかなきゃいけない場合も想定していたし、
その場合の2/3の過ごし方や親子の精神状態も含めて、
どうするかも頭をめぐらせていた。


徒労に終わって、良かった。本当に。

長男は、最高の結果を一発で叩き出した。
大した奴だ。

中学受験を失敗した父親をサクッと越えてきた。
もう越されてしまった気分だ。早いよ。


本人の努力が結実した結果だと思う。

急に決めた温泉宿の割には、
食事もお湯も部屋もそこそこ良く、楽しめた。
何より長男が久しぶりにリラックスした表情で、
くつろいでる姿に癒された。
長男の受験に付き合っれくれた弟や妹たちも、ありがとう。


いくらでもゲームでもテレビでもジュースでも、
好きにしてくれていい。


長男は言った。


「受験に大事なのは、メンタルだよ」


何を偉そうにと思うが、
それを小6で自ら悟ったのであれば、
それだけで価値があったと思う。

中学受験で将来は決まらないし、
まだまだ人生はこれからである。

しかし、一生懸命に努力して
自分で勝ち取ったという経験は、
一生、記憶の中に残る。

最後に、
あの学校に中高6年間も通えて、
正直、とても羨ましいと思う。
大いに、青春してほしい。


本当におつかれさま。


本当におめでとう。

自慢の息子だよ。


父も負けないように、
父をやるよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?