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自分のミッションをKent beck風で紐解く

 最近は、ありがたいことにいろんなイベントで登壇させていただく機会をいただくようになりました。その中で自己紹介として、自分のミッションを毎回必ず、語るようにしています。

映像業界の働き方を変えたい!
個人のスキルとセンスからチームで働く業界へ!

 それは、いつも初心を忘れないように、そして自分への戒めとして自分に言い聞かせている意味も多く、その言葉一つ一つに自分の思いがあります。

 話は変わって、2019/9/21に行われたXP祭り2019。ここでの基調講演は角谷信太郎さんによる「僕らはエクストリームプログラミングのかけら」というなんとも学びが深く、会場にいる全員でXPという宇宙に飛び込んでいくような内容でした。

 内容もさることながら、ここで一つ心に引っかかったのが、FacebookをやめたKent Beck氏のパタンの考え方をそのまま生かしたようなミッションのまとめ記事でした。


今日は私のミッションもこれに倣って振り返っていこうと思います。

映像業界

 私は映画、TV、CMなどの編集を生業とする企業で働いています。この映像業界を志したきっかけは高校時代から始まります。

 中学時代から始めた吹奏楽部。高校時代には東海大相模高校吹奏楽部で部長をしていました。部員は150人のなかで、毎日朝から晩まで走りまわり、高校時代の全てを注いでいたといっても過言ではありません。

 そんな吹奏楽部では毎年、定期演奏会という自校だけの演奏会が行われており、東関東大会常連校ということもあり、毎年チケットは争奪戦。会場は満員になるイベントでした。

 そのなかで、アンコールにはオリジナル曲の演奏があり、そのオリジナル曲の終盤では会場を暗転にし、観客の皆さんに配ったルミカライト(今で言うサイリウム的な折ると蛍光色に光る棒)を部長の合図で一斉に折理、それを一糸乱れず振るという演出があります。

 その光景は演奏をする側と聞く側という境界が融解する瞬間で、「音楽で人を感動させる」という実感から「音楽で共に感動する」という経験に変わった瞬間であり、その光景を部長という特等席で味わった景色は今でも脳裏に焼き付いています。

 それから大学に進み、CG関連の研究室に進んだ私は進路のことを考え始めます。そこでふとそれまでの自分の人生を振り返りました。そして小さい頃に好きだったこの作品に再度触れました。

 この作品は小学生当時、「自分は特別な少年で、この世界を変える冒険に出ることができたら・・・」という小学生男子特有の夢と期待を持ってワクワクしながら観た思い出の作品でした。

 ちなみにこの作品は山崎貴監督の出世作としても注目されてる作品で、一時期軽くブームになっていた「ドラえもんの最終回って・・・」みたいな話にもこのジュブナイルが引用された一節もあったりします。

 この映画は構図やストーリー、そして、ガンダムやエヴァンゲリオンへのオマージュなど細かい技法もたくさん詰まっていて、大人になった今でも楽しめる側面がありますが、小学生男子だった私の心にも何も考えず勇気を与えてくれるという意味で、理論や説明がなくとも老若男女に感動を与えるという側面が高校時代の演奏会での私の体験にリンクするものを感じました。

 そこで私は「音楽にさらに映像を加えると・・・さらに感動が倍増する」という気持ちから映像業界を志し、今の自分がここにいるということが不思議であり、ある意味必然なのかなと思っています。

働き方

 そんな背景で、華やかな映像業界に夢を抱いて入社した私。自分の学んできたことをどう生かすかということもあってエンジニアとしての採用となり、部署の境なく、映画、TV、CM、配信といろんな業界の現実と課題に直面しました。

 そのなかで私が気づいたことは、私にとってのエンジニアリングは手段であること。

 視聴率の低迷、広告費の削減、ヤラセ報道、フィルムからデジタルになったことによる参入障壁の低下、海外配信事業者の参入による日本コンテンツの質の再定義など課題は多くあります。

 しかし、やはり多いのは「働き方改革に伴う業界の変動」です。

 実際に私の中でこのようなミッションを強く思うきっかけになったのは2017年秋のことでした。

 そのころは電通の件をきっかけに映像業界にも働き方改革の波が押し寄せ、それまでの「2~3徹が当たり前」「質を上げるためには時間を顧みない」という考え方は捨てざるを得ず、TVの業界においては業界大手企業としてはどこよりも早く2交代制を導入しました。

 その影響で「働きたいけど働けない」という現場の人間がどんどんと社を離れ、それまでに受けていた毎年の大型案件すら受けることができなくなる可能性すら見えるほどになっていました。

 映像業界にはInterBeeという日本最大級の映像機器の見本市があります。2017年の2日目を終えてたまたま酒の席を共にした先輩方。

 その面々は今もTVに関わる技術の人。TVから異動して開発営業にいる先輩。 TVからアーカイブ、パッケージと他の部署でマネージャーを歴任してきた先輩。いずれもTV出身者でそこで話されていたのが「俺たちが動かないといけない」「俺たちが止めないといけない」という鬼気迫った決意でした。

 その場を終え、幕張からの帰路。電車に揺られながら私は考えました。「自分に何ができるだろう。自分にできることはなんだろう」

 それが私の「働き方を変えたい」という思いの始まりでした。

個人のスキルとセンス

 それから自分にできることと業界の現状を見て考えていく中で、AgileやScrumにおける数々の考え方やプラクティスを思い出すことが多くなりました。

 そもそも、現場と呼ばれるEditorやMixierの世界はアルバイトや契約社員から入り、先輩のアシスタントとしての下積み時代を経てメインになり、顧客であるプロデューサーやディレクターからの指名を経て、仕事を獲得していく。まさしく職人芸のような世界です。

 そのため、必要となるのはスキルとセンス。そしてそのスキルとセンスが育てば育つほど、「企業に属しているより独立した方が稼げるのでは・・・」という思考になっていきます。ここまではエンジニアとさほど変わらないでしょう。

 ここで異質なのが、フリーになったところで、それまでに所属していた時と変わらず、顧客が弊社の編集室を使うと決めた場合、フリーになる前と変わらずに施設を使えるという点です。

 そのため、企業に所属するメリットが軽薄化し、独立思想が強くなります。そんな巣立っていく先輩たちを見るとアシスタントたちも「いずれは自分も・・・」「巣立つのであれば誰かを教育すること、何かを引き継ぐことより自分のスキルを上げること」に目が行くのが現状です。

チームで働く

 このような状況はむしろ裏目に出ており、「誰が何しているかわからない」「自分が何をしているか見てもらえない」というところから孤独感が生まれ、それが企業への不信感につながります。そして、他者からも「あの人は何してるかわからない」というまま放置され、コミュニケーションが減っていくことで案件自体もフラストレーションをためながら強引に進んでいってしまっていました。

 そのため、私は「チームで働く」ということが実現できるように取り組んできました。

 ・まずは一人でカンバンを始める

 ・チームで朝会、ふりかえり、月間MVPを始める

 ・社内SNSで発信する

 ・他の部署からの見学を受け入れる

 ・各PJからインセプションデッキ、仮説キャンバス、ドラッガー風エクササイズなどの依頼が来る

 ・その他ファシリテーションの依頼が来る。勉強会を実施

 ・社内勉強会を始める

 ・VSMを全社有志に展開する

 ・働き方改革の担当に任命される

 ・管理本部の兼務を任命される

少しずつ初めて約2年。やっと全社に公に働きかける権利をもらい、実行に移せるところまで来ました。

少しずつではありつつ、全社でチームを意識できる空気が生まれてきました。

"ミッションのこれから"と"これからのミッション"

そんな過程の中で、私の中でも武器と呼べるものが少しずつ生まれてきました。

・AgileやScrumにおける知見と経験

・ファシリテーション

・チームビルディング

・エンジニアを超えた働き方

・パタンランゲージ(入門中)

 そして、社内でも公に動けるポジションをいただいて、それが社外への活動ともうまく循環してきています。

 これまでは下地を整えていった2年間と考えると、これからは実績を積む2年間。

 そのためには絶えずインプットし続けること。そして、アウトプットの数ではなく、質を上げていくこと。

 そのためには今のミッションをより一層追求しつつ、これからの新しい自分に向き合えるように日々精進していきたいと思います。

主にPjM、PO、セールスエンジニア、AWS ソリューションアーキテクトなどを務める。「映像業界の働き方を変える」をモットーにエンジニア組織を超えたスクラムの導入、実践に奔走。DevLOVEなど各種コミュニティーにおいてチームビルディングやワークショップのファシリテーションを行う