猫
自分とはなんだろうか?
自分は自分だろうと思うかもしれないが、
"他人から見た自分"と、"自分が思っている自分"は違うだろう。
言葉として"自分"がたくさん出てくるので、
"自分が思っている自分"を"私"と表現しておこう。
私の中の自分は、経験だったり所属や族柄で表すこともできるだろうがあくまで情報に過ぎない。
他人から見た自分は、その他人は経験などしておらず、共に過ごした外からみた自分であり、情報に過ぎない。
自分とは、情報なのだろう。
ここでは、虚偽や真実は問わない。
相手が認識するまでは、それは真実として処理されているだ。
シュレディンガーの猫の思考実験もあるように、
箱を開けるまでは猫の生死は決定せず、開けてそれを確認した時に決定する。
仕事柄、私は教師として接する生徒達にとっては先生である。
しかし、コーヒーショップでも働く自分は、仲間やお客さんからみればバリスタである。
個人としては、ロースターとしても活動しているのでロースターだろうし、親から見ればいつまでも息子だろう。
マオメエアニメ「ぼくとねこ」での、あの空き巣は、俯瞰して見ている視聴者は、一部始終を確認しているため、空き巣であり人間だろう。
しかし、田中にとっては猫であり、他の人からは、人間である。
そして、空き巣自身は、いずれ猫になるのだ。
自分とは、情報がつくりあげ、いつしか思い込みによって猫にもなれる。
"僕は、ねこだ"
あの時、空き巣は猫になった。
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