【乳房にがん】27日目

2020/06/17 

大学病院3回目

今日は先週の針生検の結果を聞きに来た。結果次第で入院するかどうかの最終判断がなされるとあって、なかなか緊張感のある朝を迎えた。

けど、道中はいつもどおりで、昨日から騒がしくなった朝鮮半島の話をしながら混雑した道を車で向かった。

朝の大学病院は混んでいる。だから車を停めるのも一苦労で、診察の順番を後回しにしてもらわなければならなかった。

いよいよ診察。癌であることは明らかではあったけれど、どうか少しでも安心材料がありますように。そんなことを心なしか願っていた。

先生が針生検の結果を見せてくれる。

「まだ中間結果なんですけどね、んー、癌で間違い無いですね。ここに、carcinomaってあるでしょ。これは英語でcancerですね。

浸潤性乳管癌。乳癌でもっともポピュラーな癌で、だいたい90%くらいが乳管癌ですね。乳管ってのは、おっぱいをあげる時にミルクがある管のことね。そこに癌ができてます。

ただねー、ここにnuclear gradeってあるでしょ。これが3なんです。癌の顔つきっていうんだけど、1が1番よくて、3が1番悪いのね。その3なんですね。

なので、早く手術で取った方がいいですね。ということ予定通り26日手術でいきましょう」

母の目がみるみる赤くなる。

私も想像を超えていたので、ドキリとしたが、母の目を見ると、あくまで冷静でいないと、と本能が訴える。

諸所段取りを伝えられ、何か聞いておきたいことある?と言われ

「癌の顔つきってなんですか?」と質問するのが精一杯だった。

「顔つきとしか言いようがないんだけど、形だったりがね、あまり良くないってことなんですよね」

母は知り合いが乳癌で長期入院していたこともあってか、抗がん剤治療について盛んに質問したいようだったが、あまりのショックに質問しようにも言葉が出ないようだった。

促すとなんとか質問できた。

「知識がないから聞いてしまうんですけどね」

「それはみんな知識ないよ」と先生。

「抗がん剤治療っていつからするもんなんですかね。入院ですか?」

「手術して癌を取ってみて、それでどんな癌かの全貌をみて、リンパとかの転移を見た上で2、3週間してから抗がん剤治療するか決めますね。通院で点滴でやりますよ」

母はそれ以上は聞かなかった。

入院のオリエンテーションがあり、レントゲンを撮り、心電図を取り、入院予約をし、PET CTのオリエンテーションを受け、くたくたになって帰路についた。

母がレントゲンや心電図を撮ってる間、インターネットで乳管癌やグレードについて調べた。

ネットは時に残酷。どこまで正確かはわからないが、でもはっきりと「予後が悪い」と書いてある。

これは母には見せられないなーと思い、予後の話などはせずに、ポジティブなことばかりを話した。

どうか、ネットは見ないでくれと、悪いという情報に心を掴まれないでくれと思っていた。

正直、私も泣きたい。でも、母を前にすると泣いていられない。父を病でなくし、母まで病になることが、どれほどまでに悔しいか。そんなことを母の前で出しても仕方ない。

入院の手続きの際に緊急連絡先に叔父を書いたこともあり、叔母に電話した。

母から直接電話するにはあまりに落ち込んでいるので、私から掛けたのだ。

そこで母が、「ネットでみたら、グレードって悪いんだね。」と呟いた。みてしまったか。

「なにがいま、1番気を病んでるの?」

「グレードかな。1が1番よくてって言われて、5まであるのかなって思ったから。でも3が1番悪いって言われて、、、悪いのかーって。パパにお願いしたんだけどなー。助けてって。迎えに来るの早いよ。」

完全に落ち込んでいる。

これは、癌に心が侵されている。

ひたすらにポジティブな言葉を投げることしか出来なかった。

「落ち込んでもしょうがないでしょ。手術で取り切れば治るかもしれないし、まだ死ぬわけじゃないのに、なにが迎えに来るだよ。脳に腫瘍が転移しちゃった人のブログ読んだけど、もう絶対治らないって言われたのに、治った人もいるんだから!」

「…」

「まんぷく(見返している朝ドラ)一緒に見よ!めっちゃ元気出るよ!」

「私もみたいドラマあるのー」と一階へ降りてしまった。

その後叔父から折り返しがあったり、友人から電話が来たりと母は大忙しだった模様。

夕飯をたべ、いつも通りクイズ番組に2人で挑み、その後、お風呂を出た段になって、また母が「またネットで調べちゃった。予後って手術のあとが悪いんだねー」と言った。

「あなたにはまだやることがあるでしょ?娘の演劇を見ること、生まれるかもしれない孫を抱くこと、孫育てをすること、孫にランドセルを買うこと。それにあなた自身が服を作って買ってくれた人を幸せにするっていう才能を無駄にしないこと。ほら!やることはいっぱいあるんだから。落ち込んでたって仕方ないよ。人生は前を向いてしか進めないんだから、やりたいことをたくさん描いて行こうよ」

と少々熱っぽく語ってしまった。それも、どうしても癌患者は気持ちが塞ぐらしく、しかし、そうすると進行しやすいと。気持ちを明るくすることが治療に大事だと、悔しいけどネットで見たことが原因だった。

というか、病に負けて欲しくなかった。

『がんに「おい!かかってこいよ!やっつけてやるよ!戦ってやるよ!」っていってやりなよ。「負けねーぞ、勝って、闘病記書いてやるからな!」っいうくらいのつもりになりなよ』

母が落ち込むのはわかるけど、父をみていて感じていた、心が負けたら負ける、という思いがあったからこそ、気持ちだけは強くあって欲しかった。

「わかるけどさー」

そこで私の何かが切れてしまった。

「そりゃ私だって悔しいよ。なんでママが癌にならなきゃいけないんだよ。むかつくよ。ヤダよ。だけどさ、生きなきゃ、前向かなきゃ行けないんだよ」

もう泣かないと決めてたのに、泣いてしまった。それにビックリしたのか、母も泣きながら「はい!わかった!」と威勢よく声を出した。

私がそばにいるのは、この人を笑わせて楽しませて、癌に戦っていけるメンタルを支えることが私の仕事なんだと思えた。

明日からはきっとそんなことを積み重ねる毎日になるんだと思う。

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