【乳房にがん】40日目

2020/06/30

しばらく空いてしまいました。

というのも6月17日以来バタバタとしていてnoteに来ることが出来ませんでした。

今日は手術です。

今日までのことをちょっとまとめてみようと思います。

6月19日 PET-CT 受診

6月23日 PCR検査、麻酔科説明

ここまでは順調でした。

びっくりするほど順調。さぁあとは25日に入院して、26日に手術を待つだけ。そんな気持ちでいました。

大学病院って面白くて、ホテルとは違って、どの病室に入院できるかは前日まで分かりません。入院説明を受けた日に希望の病室のタイプ--個室か、相部屋か、さらにそのグレードで特別室から差額ベッド代無しの簡易な部屋まで別れる--を聞かれます。

こちらの大学病院の個室は約5万円からとなっています。特別室の最高グレードはなんと24万円(1泊ですよ!!  もはや高級マンションの1ヶ月の家賃!!)

だから個室なんて無理です。

相部屋は差額ベッド代無しの4人部屋と、荷物の棚が間仕切り代わりになる約9000円の4人部屋、そして女性のみある3人部屋(12000円)の中から選びます。

まぁ、収入が年金のみですから差額ベッド代無しのところでもいいんですけど、ありがたいことに保険にいくつか加入していたことで、入院日額が出るから、9000円の4人部屋を第一希望、12000円の3人部屋を第二希望で申請しました。

なにせいびきとかって結構気になる(周りの方が)ので、仕切りがあった方がいいかなーとの判断もありました。

その希望が通ったかどうかは入院前日に連絡が入ります。

6月24日、昼頃に病院受付から連絡がありました。

「女性3人の相部屋です」

むー!やはりか。4千円/1日違うと10日の入院で4万ですからね。旅行行けちゃいますから、快気祝いで。高い方かーと。まぁでも決まったことは仕方ないねーと話しておりました。

17:30ごろに入院用の荷物を詰めたトランクを車に積み込もうと車を家の前に停め、作業をしていると、ジリリリ・ジリリリと家電が鳴りました。

母が「29ですか?え、30?」と日付をいくつか言っています。

なんで日付を言っているのだろうと、一瞬にして不安に陥りました。『PCR検査も陰性だったし、なんの問題もないはずなのにどうしたんだろう』

すると母が、「担当の先生が熱を出したから入院を延期してほしいって。それか別の先生に執刀してもらうかだって。どうしよう?」とかなりテンパって伝えてきました。

この、痕をひきまくっているコロナの状況ですからね、熱があったら、そりゃお医者さんも手術出来ませんよ。

でも、このタイミングで?!と。ここまで順調にきていた分、最後のところでつまづいた感じがすごくて、2人してテンパりました。

病院としてもすぐに決断してほしい。

担当医を変えないと選択した場合、30日に手術できるかはまだ未知数で7月3日まで延びてしまうかもしれないこと。

そうなったらまたPCRが必要で、26日にPCRを受けて、29日に入院としたいけど、先生が回復しない場合、30日にまたPCRを受けて7月3日に手術となることを告げられました。

電話口の担当ではない別の先生は高圧的で、「こちらに落ち度はないですから!」の一点張りでした。

そんな状態ではこちらの考えも纏まらないので、10分時間をもらい母の希望と起きてしまっている状況を整理することにしました。

母はここまで診てもらった先生ではない人に診られるのは嫌なので、担当医を変える気がないこと、自分の癌の状態が今すぐに処置しなくてはならないほどのものではないのかがわからない状況では判断がつかないから、そこを明示してほしいことを言語化してくれました。

言語化、とちょっと冷めて書いたのは、ここのところ気持ちが不安定で、なにが不安なのかをうまく言葉に出来ていなく、先生の話も覚えられていない状態が続いていたからです。

少しでも頭と気持ちを整理してもらう為にも、きちんと言葉にしてほしい。そんな思いから、一つ一つ言語化して整理しました。

整理したことを折返しの電話で伝えると、今すぐの手術でなくても問題ないことが分かり、ならば担当医の先生はそのままで、復帰を待つ、ということになりました。

ただ、復帰を待ってもいつまでもは待てないので、7月3日は代理だとしても必ず手術をすることを決めて、とにかく6月29日を待つことにしました。

ただ、6月29日に入院手続きをするタイミングで先生の復帰可能かの判断が下るため、入院手続きをしても帰宅しなくてはならない可能性もありました。

なんともストレスの溜まる状況。でもこればっかりはほんとどうしようとありません。

母はここまでが順調だった分、急にブレーキがかかったことにとても大きなショックを受けていました。

前を向くしかない、待つしかない、自分で変化を来せる内容ではないことは分かってはいたので、気持ちと頭のアンバランスさがもどかしいようでした。

そっからは逆に病気の話が出なくなります。

待つしかないこの状況は、まるでエアポケットのようにぽっかりと穴が開き、無風な地平にいるような感覚でした。

入院を見越して、いろんなことをきちんと話してきた分、この無風は、あまりに静かすぎて怖いくらいでした。

26日のPCR検査を終え、無事陰性となりましたが、やはり手術のことはあまり会話に出ませんでした。

続く。

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