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『服を作るということ』

役立つというような内容ではないけれど、暗い話題の多い中で書いておかないといけない気がした。自分自身のためにも。

服を作ること・売ることは実は人の人生に大きな影響を与える事ということ。作っている現場や販売している本人は意外に気づいていないけれど、購入側にとってはいろんなきっかけの時だったりする。

ただの作業になってないか、ただの金儲けの方法の一つになってないか。


僕が服を自分の意思で初めて買うと決めて買ったのは中学生の頃。
初めての彼女さんと夏祭りにデートの約束をしたとき、その時に着る服の為。いまでも凄い覚えてる。青いTシャツに黒いズボンを貯めたお小遣いで買った。その服は今はもう手元にはないけれど未だにどんなものだったか覚えてる。同じように初めてのプレゼントも覚えてる。どちらも今思えば一言『ダサい』としか言えないようなものだったけれど。

初めて常連になった服屋さんは古着屋さんで、接客してもらうことが楽しくて毎週通ってた。試着することも遠慮しなくなれたし、その接客の心地よさは未だに基準として僕の中にある。そのおかげでどんな店にも一人で入れるようになった。もともと服屋さんへ入るのは苦手だったのだけど。


今みたいにUNIQLOやGU、ZARAもなくて服なんて近所のちょっとした商業施設(その名はダイエー)で最初買ったわけだけど、これが高校生くらいになってもアメ村って選択肢に変わるくらいのもの。(関西の人間なので)
今は大量に高品質なものが安価で、しかもそこそこオシャレなものが手に入るいい時代だとおもう。

僕のような初めてのデートや、誕生日。学生なら学年が変わったり大きな休みがあったりの時にいつもより自分をかっこよく見せたくて服を選んだり。
大人でも気分を変えたい時であったり、勝負かけたいとき、スーツなんかは就活でも役職変わったりでも買ったりして勝負する。女性でもちょっとパーティのようなものがあったり結婚式や二次会の為や、好きな人のの好みに合わせてみたくなったりして、相手のことを考えて自分を着飾る。他にももちろん自分へのご褒美や生活の活力のためにとか。

心地いい接客は受けた側は忘れないことも多いし、新しい自分の発見の手伝いにもなっていたりする。販売員さんが選んでくれたものが、着る人の中で大きなきっかけになる可能性もある。服がきっかけで「それいいやん、どこのやつ?」とかの話題にもなったり「おしゃれって言われて、服好きになりました」だったり。

服は生きる上で絶対に必要なものではないと思う。毎日消費するような飲みものや食べ物とは違う。自分自身を装えるもので空気を纏えるものなわけで変身できるものだ。意志表示だったりする。身体の中から健康にする食べ物とは違うけれど、「よし、これ着てるから今日は無敵だぞ」みたいに心の面は変えることができたりする。
下着だってある部分ではそうで、見えないけど気分が高まるからと身につけるものもあるし、まあ見せることを前提に素敵なものを。ということも当然ある。

僕たち作る側や販売する側はそういった人の感情が関係する商品を扱っているんだってこと。大量に生産されてライフウェアになっているものや実用的な作業着は別として、ファッションになってくるとそれはやっぱりちょっとだけ特別なのだ。

それは心に作用する。

服をつくってるってことは、ある人のきっかけや人生の勝負どころに着るものを作ってるのかもしれないってこと

接客は買いに来ている人の大事な場面の手伝いをしているかもしれないし、服に興味がない人を変えているかもしれないってこと

死にたい気持ちの人が、生きたいと思えるものですらあるかもしれないということ。大げさだけど。


そう思ってモノづくりしていたら、気持ちはすこし前向きになると思った。
実際に楽じゃない状況の続く中だけれど。

いつかどこかで作ったものを身につけてる人が笑ってるところに遭遇したいなとふと思った。

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