「ピッチの上では平等」か?スポーツの背後にあるもの

FIFAワールドカップカタール大会が始まった。私はサッカー競技が好きなので(最上位ではない)、それなりに楽しんでいる。スポーツくじWINNER日本対ドイツ戦を1口(200円)購入し、2対1での日本勝利を的中させもした(当選払戻見込み1,240円)。
しかし、(相当数を占める)サッカーへの関心が薄い日本国民は、ワールドカップに困惑しているのではないか(私はまだ誰ともワールドカップについて会話していない。周囲に関心を持つ人がいないのだ)。それどころか、恐怖心さえ覚えているのではないか。NHKや朝日新聞などマスメディアの集中豪雨的報道に。それは、「戦時報道」を想起させる。「日本代表頑張れ」が「日本軍頑張れ」に。「日本代表は強い」が「日本軍は強い」に。「日本代表は正義」が「日本軍は正義」に。「日本代表を応援しない者は非国民」が「日本軍を応援しない者は非国民」に重なってしまう。(私は予想したけれど)可能性が低いと思われたドイツ戦勝利によって、「戦時報道」は一層エスカレートしている。非国民の烙印を怖れ、サッカーファンを装う人も少なくないであろう。
サッカーは世界で最も普及し、人気の高い競技であることに疑いはない。それは同時に、最も政治的で、最も社会構造を反映する競技ともいえる。スポーツが社会的営為である以上、政治、経済、社会情勢と無縁ではいられない。「スポーツと政治は別物」などと安易に言う人を私は信用しない。
日本対ドイツは、名目GDP世界3位(4兆9,374億2,200万USドル)対4位(4兆2,259億2,400万USドル)の顔合わせであった。日本は次にコスタリカと対戦する。今度は、出場国中5位と2位の顔合わせである。日本の何が5位でコスタリカは2位なのか。相対的貧困率である。それもワースト5位と2位だ。OECD(Organization for Economic Co-operation and Development経済協力開発機構)加盟国及びパートナー国、すなわち「経済援助する側の国」で、ワールドカップカタール大会に出場しているのは18か国。その貧困率を比較すると、ワースト1位がブラジルで21.50%、2位が20.30%のコスタリカ。以下、USA18.00%、メキシコ16.66%、そして15.70%の日本と続く。
平和と環境を尊重し、世界的に幸福度が高いとされるコスタリカだが、経済的Take offは、まだ途上なのであろう。
一方の日本。直近2018年調査では、貧困線(等価可処分所得中央値の半分)が124万円。それ以下で生活する国民が15.70%に上る。豊かな国、経済大国を自認しているはずだが、現実には、深刻な社会の階層化が進む。スポーツの背後には、こうした苛烈な社会問題が潜んでいる。
スポーツの祝祭性は、政治や社会の諸問題を覆い隠す効果がある。それが「Sports Washing」(Jules Boykoff NOlympians:Inside the Fight Against Capitalist Mega-Sports in Los Angeles,Tokyo and Beyond ジュールズ・ボイコフ著 井谷聡子他監訳 オリンピック反対する側の論理 東京・パリ・ロスをつなぐ世界の反対運動2021年 作品社 p22~23)というものだ。政治権力者が、スポーツの一体感醸成効果に着目、「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意をそらす」(Boykoff)行為、Sports Washingを頻用することは自然であろう。
サッカーの現場で頻用される「ピッチの上では平等」という言葉。もはや、空虚と言うしかない。「サッカーが贅沢品」と化した国は枚挙に暇がない。日本も確実に含まれる。
本当に「ピッチの上では平等」か?スポーツの背後に潜在する不条理を顕在化しなければならない。2015年から7年にわたり、私は指定国立大学法人東北大学全学教育「法・政治と社会~メディア・スポーツ・政治」でこの問題に焦点を当ててきた。講義ノートに加筆した言説を公開する。

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