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アウトプットする行為について
アウトプットすることは個人的に必要不可欠なもの。
小説もどきのようなお話も小学生くらいの頃から楽しんでいたし、読書感想文やそういった類の宿題に関しては文句を言う生徒も多い中、個人的にはウェルカムだった。
この文章を書いている、打っているうちは自分が素直になれているような。そんな爽やかな感じ。口から言葉にすることが苦手なので、冷静に一語一語考えながらアウトプットできる文字は精神衛生上にもとても良いのであった。
文字に書くことは、自分の中にあるものを可視化させる作業でもあり、ただ思考の中でうだうだと鬱々しい時間を過ごすよりも、気軽に自分のことを知ることができる手法でもある。
特に私みたいにすぐ色々な思考に囚われて、やりたいことにモヤがかかって行動しにくい状態になることが多い人間にとってはその「なにも出来ない自分」というものから脱出すべきための手段であった。
ま、こんなことをうだうだ書いたところで自己満足にしかならないのだが。
ここ最近、マンガを描き終えた私はその製本が上手くいくことを祈りながら、コピ本の印刷準備を進めて、コミティアに備えている。
Twitterに載せている漫画日記にも描いたが、今は自分の作ったものの完成度というか、出来の具合が不安でしょうがなくなっていた。
元より、以前から創作を行っていたが、他人からの評価が次第に怖くなり、一度まともに創作ができなくなったこともあり、その古傷のようなものがジクジクと痛み出している感じである。
面白いだろうか、絵は見て耐えうるものだろうか、楽しませることができるだろうか。心理学でいうところの「他者の感情」、「変えられない事実」について少しばかり足を引っ張られている感覚。そして、それについて「はじめての漫画だし」というような言い訳がましい自分がいるのもそのモヤモヤのひとつであった。
前の創作に対する恐怖から、他人の評価やそういった変えられないもの対して争っても時間の無駄であり、なにも有益なものは生まれないとわかっているので、一時対応としての尻尾切りな感覚でその思考を無視することもできる。今考えたら、これに囚われ続けていたらどんだけ辛いんだろうと思うばかりである。
頭の切り替えで、何か新しく作りたいものや書きたい物語や描きたい絵を想像することが出来るようになって、少しは気軽に創作ができるようになったものだと思う。
そもそも、そこまで迷うほどの力量は持ち合わせていないため、なにを一丁前ぶっているのかと我ながら冷ややか感覚である。
単純に仕事も忙しい中、漫画を描き上げた自分をすごいねって労うだけで良い。
頑張った頑張った。
まぁ、何が言いたいかというと、絵だろうが、漫画だろうが、文章だろうが、小説だろうが、私のアウトプットはきっと止まらないのだろうということ。
止まったらきっとどっかで詰まりを起こして、配管が破裂してバタンキューという感じになるだろうね。
そうならないようにも定期的にnoteを活用していこうと、そういう話でした。
そんな中で多少は読んでくれてる人にとって有益な情報とか、きっかけみたいなものを伝えられたら私は幸せです。
ではでは。
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