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読み聞かせ マリーアントワネットの生涯


いまから250年ほどむかし、オーストリアという国に、マリー・アントワネットというお姫様がおりました。
マリーはハプスブルグ家というオーストリアのお姫様でしたが、自由でのびのびとしたふんいきの家でそだてられました。

「おかあさま、今日はみんなでげきをしてあそびましょう」
「あしたはみんなでピクニックに行きましょう」

マリーはきょうだいも多く、家族で楽しいくらしを送っていました。

そしてとても美しい女の子だったのです。

あるときお母さんのマリア・テレジアの誕生日の日のことでした。
ウィーンにある宮殿でとても豪華な音楽会がひらかれた時のことです。

モーツアルトというとても有名な人物がピアノの演奏をしていました。

当時モーツァルトは6歳でしたが、
「天才」といわれたこの少年はすでにオーストリアでは有名な音楽家になっていたのです。

モーツアルトが演奏をおえて、宮殿の広間を歩いていると、つるつるの床でコテン!と
転んでしまったのです。

ああっとみんなが笑っていると、
マリーはモーツアルトにかけよって手をさしのべたのでした。

「大丈夫ですか?モーツアルトさん」

親切にされたモーツアルトはとてもうれしくなりました。

そして起き上がったモーツアルトはマリーにこういったのです。

「大きくなったらぼくのお嫁さんにしてあげるよ」

マリーもうれしくなって

「ありがとうお待ちしていますわ」

と答えたのでした
このときはマリーもまだ7歳でした。

そんな風にオーストリアでのくらしは毎日が華やかで楽しかったのです。


しかし、家族での楽しいくらしは、マリーが14才のときにおわりました。

マリーはけっこんすることになったのです。
けっこん相手は、フランスのブルボン家、ルイ王子でした。

フランスとオーストリアは遠くはなれているので、マリーはルイ王子に会ったことは一度もありません。

マリーは母親のマリア・テレジアに聞きました。

「おかあさま、どうしてわたしはフランスへ行かなくてはいけないの?」
マリーがたずねると、おかあさんのマリア・テレジアはこうこたえました。

「マリーとルイ王子がけっこんすることが、オーストリアとフランスの友情のしるしになるからです」

フランスは少し前までマリーの国、オーストリアと戦争をしていたのでした。
けれども、マリーの母マリア・テレジアはフランスと仲直りをすることにしたのです。

プロイセンというもうひとつの強い国をたおすためでした。
マリーとルイ王子のけっこんは、国どうしの約束だったのです。

マリーは泣く泣く家族にさよならを言って、一人でフランスへ行きました。

フランスでマリーを待っていたのはルイ王子でした。

ルイ王子もこの日、マリーに会うのははじめてでしたが、美しいマリーをみて、
ルイはいっぺんにマリーのことが好きになってしまいました。

こうしてふたりのけっこん生活がはじまったのですが、仲のいい家族とはなれてフランスに住みはじめたマリーは、さびしくてたまりません。

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ルイ王子はやさしい人でしたが、むくちで、ものしずかなせいかくだったのです。
おしゃべりがすきで、明るいせいかくのマリーと、むくちなルイ王子は、気が合わなかったのです。

フランスのおしろも、オーストリアのおしろのような自由なふんいきはなく、きまりばかりで、つめたいかんじでした。

「王女さま、おへやを走ってはいけません」
「王女さま、大声でわらってはいけません」

めしつかいたちにちゅういばかりされて、マリーはだんだんしずんでいきました。
そんなマリーの気をはらすのが、フランスのみやこ、パリに出かけることでした。

パリは大きくて、げきじょうやお店がたくさんある、おしゃれな町です。
マリーが乗った馬車がパリに入ると、おおぜいのパリの市民が手をふって出むかえてくれました。

「王女さま、ばんざい!」
「王女さまはきれいな人だなあ」
「王女さまはフランスのほこりだ」

マリーはパリの市民がにぎやかにむかえてくれるのがうれしくて、しだいに一日中パリであそぶようになりました。
しかし、パリには今日食べるパンにもこまるような、まずしい人もたくさん住んでいました。
まずしい人々は、マリーがたのしそうにパリであそぶのを見て、

「王女さまだったら、あそぶお金をまずしいものにあたえてくれてもいいのに」
「王女さまはわれわれまずしいもののことを何も考えていない」

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