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変なインターンの話

一応最低限の倫理観は持ち合わせているので、「どこどこの事務所に行きました」、「こんなインターンをやりました。」と言った詳細な話は避けながら、ふわふわとした具体性に欠ける、よくわからない文章を書いていこうと思う。ほとんどが自分の思考の整理で、インターンの話をするかもわからない。

いきなり余談だが、少し前に訳あって個人のTwitterアカウントの知名度が肥大化した。まだB2の僕の最も細分化された思考の断片を見て一体何になるのか甚だ疑問だが、僕も泥くさい人間なのでいいねがつくと普通に嬉しい。たまにバズ狙いのネタツイートもする。それにSNSは割と捨てたもんじゃない。去年の建築新人戦に足を運んだ際は、別に100選に選ばれた訳じゃないのに、何故か僕を探してくれている人がいた。その繋がりから関西に一つ質の良いコミュニティを持つことに成功したので、凄い時代になったと思う。
しかし冷静に見てみると、この肥大化した「半田 洋久|Hirohisa Handa」という「アイコン」をみんなは見てるわけで、僕のことをちゃんと見ている人は意外と少ない。実際のところ他人よりあから様に突出したスキルは別にない。設計力も造形力も低い。思想はあるが、設計に昇華できてるか怪しい。表現力もないのでいつも模型写真で事なきを得てる。いくらか論理構築力があるような気もするが、それも僕より優れた人を何人か知っている。あるとしたら繋がりたいと思った人や先生たちへの特攻癖くらいか。

2年後期にもなると、学部同期の実力は開きつつも、同時に拮抗して安定してきたような気がする。大抵みんなソフトは使えるようになるし、課題の取り組み方もわかってくる。姿勢と熱量次第で別にどうとでもなるし、良い評価を得るという話でいうと、先天的なポテンシャルよりは、どう手を打っていくかの方が大事になったと思っている。
建築学というか、設計というか、課題というか、そういうものを通して考え事をするのは、現状それなりに楽しいし、多分他人よりいくらか得意だと思う。だから設計課題はそれなりに真剣に取り組んでいる。実際学部課題は大体3回に2回くらいの頻度でプレゼンの機会をいただいていた。2年後期の最終課題で久しぶりにコケて、選ばれないどころか消化不良に終わったB2。若干の喪失感と共に春休みをどう使おうか考えていた。

そうなると、大抵「新しいソフトを身につける」とか「コンペをやってみる」とか「旅に出る」とか「インターンに行く」とかになる。前々からインターンに行きたいなと思っていた。先輩の話を聞けば、優秀な先輩でもインターンに行ったことがない、といった話は割と聞くし、2年後期にインターンに行く人なんて周りにはそうそういない。インターンという口触りの良さに憧れたり、体裁の良さ、ふわっとした将来像から、なんとなく機会を探していた。
インターンに行くというのは、いわゆる無給で事務所に潜り込み、その仕事を見させてもらうことができるわけだが、ろくにアルバイトもせずに設計課題に打ち込み、傍ら趣味でかなり精力的に活動しているロックバンドもやってるわけなので、生活に経済的余裕はない。それでも無給の仕事をやりに飛び込む大事さは、先輩のお手伝いから学んでいた。
先に書いたように、学部同期の実力が拮抗しているのを肌で感じているし、大学生活も折り返しに入ったこともあるので、そこそこ焦っている。なんとなく周りを見ていて、技術面や現状の設計力では勝負できないと感じていたので、次に打つ手は「変な経験」にリソースを削ぐことだと直感していた。それで割とインターンはいいんじゃないかと。

大学でとある建築家の方と知り合う機会があった。その人はいわゆる建築家の中では最若手にも関わらず、扱う言葉は難解で、発表されている作品も他には無い奇妙な魅力を持っている人だった。何度かお会いしたり、その人について調べていく内に、ズブズブと魅力に溺れていき、気づけばもうその人のところでインターンすること以外考えられなくなっていた。僕は割と盲目的なところがあるけど、直感は間違ってなかったと思う。事務所は何故か想像を絶するド田舎にあったので、多分所員さんも少なそうだと踏んで、これならいい経験ができるだろうと。その人と最後に会う日に、無い時間を捻出して作った簡易的なポートフォリオを渡して「インターンに行かせてください」と。やっぱり特攻癖だけは他より秀でてるかもしれない。

あまり後先考えずにインターンをお願いし、受け入れて貰えることになったはいいものの、家からは到底通えないし一体どうなるのか想像もつかなかった。その方に「1ヶ月用意してくれれば、宿泊場所を用意しますよ。」と提案いただき、本当に大変なことになったと思った。どうにか1ヶ月用意して、春休みに僕のド田舎インターン生活が約束された。

インターン中に何をしたかなんて書けないけど、1ヶ月間も関東圏から出てド田舎にインターンに行くと流石に色々ある。特に一番強く感じたのは物理的距離と精神的距離についてだと思う。僕は人間関係が得意ではないし、人といすぎると疲れちゃうので、度々「1人でいるのが好き」と口にしていたが、ド田舎インターンは流石に孤独で、関東を離れてたった2週間でホームシックになった。宙ぶらりんになった僕は割と脆く、人並みに繋がれば欲していたっぽい。それに半ば無理矢理1ヶ月時間を作ったので、関東に置いてきたコミュニティもプロジェクトも山ほどあった。1人で完結できるものは別にどうとでもなるが、バンドなんかはもってのほかで。物理的距離が離れると、同時に精神的距離もすごく離れた。「SNS時代に別れの歌は書けない」とはよく聞いた話だが、どれだけインターネットが発達しても、精神的距離感は物理的距離感とリンクしていて、質量のあるものを軽視することはできないと思った。少なくとも僕にとっては。実際にインターン先の建築家さんも、自分との近さと遠さを1つの設計のテーマとして掲げており、その思想の一部を身をもって共感できたような気がする。

孤独な生活は嫌でも思考を自分の内に向けさせてくる。そして真っ白で家具のない部屋がまた思考を加速させ、毎日帰っては寝るまで人生のことについて考えていた。ちょうどインターン中にOpen AIが猛威をふるい始めた。毎日そんなタイムラインを見ていれば、B2でも革命が起きてることは理解する。建築家の職能は一体どうなっていくのか、いったい自分はどういう人生を送るのか。そもそもchat GPTに学習させれば勝手に文章を出力してくれるのに、こんなに非効率に何文字も書く意味があるのかだいぶ怪しい。特に今の僕の生活は、先にも言ったようにロックバンドと建築学生という、奇妙な二足の草鞋を履いている。月から土まで毎日大忙しの建築家を近くで見ていると嫌でも将来が不安になり、どちらかを辞めてしまいたくもなる。そんな機会は以前にも何度もあったが、特に今回は強烈なストレスがかかった。普通に考えたら生業の覚悟を決める時点でどちらかは切り捨てる必要があると思う。ただなんとなく、その選択を安易にするのは良くない気がしている。デザインボキャブラリーはお互いに良い影響を与えているし、何しろそのよくわからない二足の草鞋を大切にしたいと思ってる。自分の人生において生業の覚悟を決めなきゃいけないタイミングはあと数年以内に訪れる気がする。それまでにできるだけ足掻いて、何か普通じゃなくてもあり得るだろう選択肢を探し出したいと、インターン先の建築家さんを見ていて強く思った。

前に思いつきで展望台愛の書き散らしをnoteに投稿してからおよそ半年ぶりに、再びグダグダとしたまとまりのない文章を投稿してみる。Twitterもそうだが、noteなんて一般人がやる分にはイタい黒歴史かデジタルタトゥーでしかない。でも、そういうものとの向き合い方を探りながら、恐る恐る思考をまとめることにある程度意義を感じているし、そういう模索は今後やっていかなくてはいけない気がしている。しかし、今回の書き散らしで分かったことといえば、今後も自分と相手にリスペクトを込めて、特攻癖はやめずに続けていくべきということくらいか。


【3/29 追記】

1ヶ月間一緒にいても尚僕は盲目なままで、インターン最後の日に模型室にあった段ボールの端材を持って建築家さんに「サインください」と言ってみた。所員さんと建築家さんは半ば呆れたように笑っていて、「サインですか、いらなくないですか(笑)」と。なんとか言いくるめて、その場で書いてもらえこそしなかったが、サインは頂けることになった。翌日事務所の用事に同行して所員さんに関東まで車で送ってもらえることになっていたのだが、その迎えの車の中に、相変わらず奇妙な魅力を持った全く何が描かれているのかわからないドローイングが添えられたサインが置いてあった。そのなんとも粋な演出は盲目的な僕を子どもみたいに興奮させ、そのサインを握りしめながら家まで帰った。その建築家さんのことがどうしようもないくらい好きだったというのもあるけど、なんとなくその1ヶ月を忘れないために、ありえないくらい遠いその事務所から家に持って帰るものが欲しかった。その建築家さんにとってはこれからも数多くやってくるインターン生の1人で、キラキラした力も持っていない僕のことはそのうちすっかり忘れられていくだろうけど、今も自室の一番見えやすいところに飾ってあるそのサインにアーカイブされた僕の1ヶ月の記憶は、僕の人生にどんな結末が待っていようと忘れることはないと思う。それが部屋に飾ってある間は、僕はずっと盲目なままかもしれないけど。

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