[きょうの日記] No.009 12-21-2022

【日常】


オカンが旅行から風邪を持ち帰ってきた


-- それだけならまだいいが、うちのオカンの人格クズなところは、テメーの娯楽でもらってきてるくせにそれを指摘すると「そんなん、しょうがないやないの!!」と逆ギレするところである。


-- 一言謝って、マスクしておとなしくしてくれりゃ済むことなのに。


-- これは普段からそうだけど、咳やクシャミをする時に「(うるさいし飛び散るから)手で覆ってくれ」と言っても「そんなん、勝手に出てくるんやからどうしようもないやないの!!」とそこでも逆ギレする。逆ギレしながらでもこちらの言い分を聞いてくれるならまだしも、そのうえ手で覆うことも音量を抑えることもしない。これをよそでもやってると思うとゾッとする。


-- なので、関係ないぼくが家の中でもマスクをするハメになるし、「自分までこうなったらあかん」という自戒の念を強めるわけであります。


-- そして、この年末のあと1~2日のうちにぼくにも間違いなくこの風邪が伝染ります


-- こういう、自分が迷惑をかけているという自覚の無い、何よりも自分を最優先する人がぼくはキライです。誰かに迷惑をかけることが全ていけないのではなく、「迷惑をかけて申し訳ない」「申し訳ないけどよろしくね」という自覚で、そういう気持ちでいてくれるなら、それ以上のことは言わんのです。責めたりもせんのです。


-- そうじゃないから言うのです。家族だから何もかもありのまま受け入れる、受け入れさせるというのではなく、家族だからこそなのです。家族に対してやれてない人間が、よそでやって尊敬を集めることなど無いのです。


-- 率直に言って、仕事で避けられない状況とかならまだしも、100%自分の為だけの娯楽で迷惑をかけられるというのは最悪です。「酔っ払って動けんから迎えに来い」とかいうのも全く同様。


-- 自分が、自分のことだけでなく他人のことにも厳しいのは、こういう親を反面教師として育ったからです。


-- こういうことに対してぼくは激しく怒ります。






【W杯・決勝戦の解説について】


★ 先日のワールドカップ決勝の解説で、ケイスケホンダがかなりアルゼンチン寄りだったって話


-- 実際に観てた人は自分も含めてみんなそう思っただろうけど、下手な奴のやる「対立を貶しての推し上げ(フランス↓/アルゼンチン↑)ではなかった」し、まぁ許容範囲かなと。


-- 今回のみならずずっと前からすーごいアルゼンチン好きだった人と同じ部屋で一緒に試合観てただけ、って感じの印象だった。



★「放送局の解説者なんだから自分の意見じゃなくもっと中立な解説に終始しろ」って意見ももっともだと思うけど、その時観てたのが、サッカー一筋でずっと生きてきた人にとってのワールドカップ決勝だったからねえ。


-- しかも、あんな強烈な内容の試合をリアルタイムに目の前で観させられたら、興奮しすぎるあまりキッズに戻ってしまうのも仕方ないと思う。熱心に観てる人ほどあぁいう風になる。


-- それに対して、どっち寄りでもなく中立で熱くならず客観視してた人と、がっつりフランス寄りで観てた人らが文句言ってる



★ 「(解説者の)仕事なんだから」って意見ももちろんわかるけど、もしかしたらABEMAとの契約で「(試合やイベントの熱を伝えられたら)完全な中立じゃなくても構わない」ってことだったかもしれないし。「(メッシサポのホンダやから)あぁなる」とABEMAもある程度わかってて起用したのかも。


-- まぁ、会社から「好きにしていい」と仮に言われてたとて、本人の口からそう言ってしまうと興ざめだし、それはそれで問題にする奴は必ず出てくるし、そういう奴は「強いカード出して開き直られた」とストレスが溜まる。だから、批判したくなる気持ちもわからなくはないのよね。


-- 自分だったら、あんなアツい試合なのに冷静にちくちくと戦術・実際のプレイについて解説されても自分と冷静解説のテンションの差で熱を奪われる気がしてしまうし、もう決勝戦で最後の試合なんだから一緒にうおー!!すげー!!」ってなってくれた方が盛り上がって良いと思うかな。



★ あとね、ケイスケホンダの良し悪しなんだけど、口調が全部キレイに口語なんよね。こう、熱を帯びずに冷静に文語で解説する人もいるじゃん。言語化が上手な人というか。その辺の好みもあるかな。感情と理性の差みたいな。どっちが良いとか悪いとかじゃなくそこは好みやからね。


-- サッカーの解説者は特に、みんな現役を引退したら次は言語化の戦いが始まるって感じで解説者になってるから、表現的にうまいこと言おうとして言葉をこねくり回す結果「何言ってるかようわからんなこの人」とか「もうそのシーンとっくに終わったでってなる人が多く、自分はそっちの方がイヤかな。


-- それよりも、今回のケイスケホンダみたいに「今の惜しかった~!」って観てる人と一緒に一喜一憂しつつ、「いま後ろで1人フリーやったんで、スルーでも良かったんすよ~」「(スロー映像が流れて)ほら、ここ見てください!」って解説者目線での意見もちゃんと一言載せるみたいな感じなら十分かなと思う。より広く、わかりやすく楽しんでもらうことがまず大事。



★ 「言語化の上手さ」については、サッカーの面白さをより広く知らしめる為にはそこまで必要ないと言うか、もっと言えばその解説者が良く評価されるためのただの手段であって、観客にまで言語化は必要ないと思う。


-- それよりも「パッと見で誰にでもわかりやすい直球」を投げてくれる人の方がこっちも「一緒に観てみようかな」ってなると思う。サッカーをよく知る人なら生解説がどうであれ自分の中だけでも楽しめるし、解説者単体でも言い足りなかった部分を動画にして上げてたりするし。


-- サッカーがまだよくわからないこれから知っていく人達にとって必要なのはどっちか、って話。



★ 日本のサッカー界には「わかってる奴だけついて来い」ってあぐらかけるほどの余裕は無いんだよね。視聴率や再生数はあくまでその放送局や放送チャンネルについての情報で、サッカーそのものの認知度や普及度を反映したものじゃない。流行り廃りの一過性で廃れたらそれまでなんだよ。


-- だから、もっと当たり前にサッカーのことを知ってもらって、観てもらって、関わる人を増やしていかないと、リーグも代表チームも強くなれない。おもしろい試合を観るならヨーロッパのリーグがあるし、ってなることは日本のサッカー界にとって好ましいことではない。


-- 極端な話、今の子どもたちがサッカーを観ず知らずに大きくなって、でも次の代表選手はその中から選ばなきゃいけないんだよ。ワールドカップで常に決勝に残れるような強い代表チームを作っていくことは招集された選手たちだけの問題じゃないのよ。国全体で土壌から育てていかないと