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触覚

五感の内の触覚について述べてみます。私の場合は相手が人間であっても動物、樹木、工作や彫刻の作品であっても、手のひらからくる感覚が他の感覚に比べて敏感ではないかと思います。

Texture

私には整体やマッサージの技術があるわけではありません。ただ体を触っていると不自然な部分がどこで、それをどういじくると自然になるかが分かってしまいます。そういう以外に自分でも説明がつきません。木材などの材料に対しても同じです。就寝時に布団の中で制作中の作品を触っているとどう彫り進めて行ってほしいのか手から伝わってきます。

これは感覚であり感触です。頭で考えているより実際に手で触ってみた方が深く分かります。その感覚を知っているかどうかで身体の動きは違ってきます。従って手先の感覚がいい人は身体の動きが自然になるものと思います。

勉強ばかりしてきた子供より腕白に遊んできた子供の方が自然な身体の動きをするのは小さい頃から色々な物を触ってきたからではないかと考えられます。木や土を触る。虫を触る。蛇を捕まえる。自然の中の様々なものに直接手を触れる機会が多い程、触覚は良くなると思います。

人間同士でもスキンシップは大切です。スキンシップしようとして気持ち悪いと嫌がられたりセクハラだと訴えられたりするようでは元々の信頼関係が成り立っていないという事です。いやらしさを感じさせないスキンシップが図れるような関係をどれだけ築けるかは器量のうちです。

握手

握手をすると、その人の肌の感じが記憶に残ります。さらさらの手のひら、しっとりとした手のひら、かさかさの手のひら、柔らかな指、しなやかな指、等々。これまで出会った人や関わった人はたくさんいますが、私はそれぞれの握手の感触を思い出す事ができます。そして確かな実感を積み重ねていく事で自分の中の何かが満たされていきます。選挙の時に有権者と手袋をして握手をしますが、これでは本当のTextureにはなりません。

キスとハグ

愛し合う男女が行う行為は五感をフルに活用して相手の気持ちを確かめ合います。ところが中近東の空港では再会を喜ぶ表現の一つだと思いますが空港で髭ズラの男性同士でキスをしている光景に度々出会います。初めのうちは不自然に思いました。しかしある時、私も求めに応じたところ相手の事がよりよく分かったような不思議な気持ちになりました。いわば欧米のハグの進化型のようなものではないかと思います。

知る

ヘブライ語で『知る』という意味の動詞はYadaと言います。この語の素になっているのはYadでその意味は『手』。従ってヤダーは手でするというのが原意です。

昔のユダヤ人は手でする事が知る事であると考えました。手で触れてモノを認識する。手でつかんでモノの実態を把握する。これがモノを知る第一歩であるとこの言葉が示しています。

またこの言葉は古代のユダヤ文学においては『セックスをする』という意味でも用いられました。男が女を知るというような表現を取ったわけです。幼児はモノに触れて頭が良くなります。赤ん坊の周りには玩具より、日用品を置くといいと言われています。大人ももっと手足を使う事です。機会あるごとに何でも手のひらで触れてみるといい。

山や公園へ行った時に樹木の幹に手を当てて肌触りを確かめてみるといい。その木に登ってみると更にいい。全身で存在を感じるからです。芝生があったら靴を脱いで裸足で踏んでみる事です。少年時代の大地の思い出がきっと蘇ってきます。

Textureという言葉はモノの質感や手触りと言った意味で使われていますが、英和辞典で引くと『本質』という意味もあるようです。身体的接触は親愛の情をストレートに伝える良い方法ですが、冗談交じりに触れるのは愛情の表れと言えるでしょう。お酒の席などで、『君の手相を見てあげるよ』と言って女性に近づく男性などはまさしく親愛の情を深めたいと思っているはずです。

本当は相手の事が好きなのに正面切って言えない様な時、そのスキンシップの反応で相手の本心を知る事ができます。それだけで断定する事はできませんが、スキンシップがあった方がより親しく打ち解けた雰囲気になったと判断できるでしょう。恋愛ものの小説や映画のシーンは多くの場合そういう部分を表現しています。

触るともっとかわいい

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