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等身大で生きる

私達人間は魂を成長させる為に生きています。それは人生の目的でもあります。その為に気を付けるべき事は何でしょう。

等身大で生きる

自分を意識しすぎると等身大で居られなくなります。自分を大きく見せよう。自分をよく見せようという考えは歪んだ力を生むだけです。等身大の自分から離れるというのは自分を捨てているのと同じです。普段の自分とは違う自分が出てきてそれがプラスに作用すればいいがマイナスになっているなら、それは自分を捨てている。壊している事になります。

緊張感はその場でなかなか取れるものではありません。緊張感を収めるには普段の心掛けから変える必要があります。『緊張を取ろう』と意識するからまた変に緊張してしまうのです。そうではなく普段から『人から良く見られたい』とか『成功したい』とか『うまくやりたい』という考え方を無くして行けばいい。

常に等身大の自分で生きていく。それには『ダメで元々』という考えを持つ事が大事です。

人は誰でも失敗する事があります。成功ばかりという人はこの世にいません。そうであるならダメで元々と思って等身大の自分で勝負する。『命までは取られない』との覚悟があれば少なくとも今までの緊張感からは解放されるでしょう。

面倒くさい事

人は都合の悪い事を経験していく事で知恵や工夫といったものを身に付けて成長していきます。都合のいい方ばかりを選んでいたら苦手なものが増えて何をやってもダメという状況になってしまいます。

自分の都合しか考えない人は周りからの信頼を失います。逆に損得勘定抜きに物事に取り組む人は周りの信頼を得ていきます。

人間性は瞬間的な動きに表れます。例えば自分が階段を上がっている時に荷物を抱えながら下りてくるお婆さんを見かけたらどうするか。損得だけで物事を考えていたら瞬間的にお婆さんに手を差し伸べる事は出来ません。困っている人に手を差し伸べるのは人間として強いとか弱いとかの問題ではありません。

そんな事も出来ないような人間はいくら勉強ができても礼儀作法が良かっても、そういう事が目に入らない人は品が悪いというかお行儀が悪い人です。

面倒を見ましよう

『面倒くさい』と『面倒を見る』は対極です。瞬間的に面倒を見る動きが出来る人は現代社会では滅多に見ませんが、少しでもそちらに近づこうと普段から意識する事は大切です。

『面倒くさい』に偏っている人は周りから孤立していきます。そして結局自分自身の周りの人から『あの人は面倒くさい人だ』と思われるようになっていきます。

この偉大な自分が否定される

誰かから非難されると、それによって傷ついた怒りのせいで暫くの間、モノが手に付かなくなってしまう時があります。それは私達の心のどこかに『この偉大な自分が否定されるのはおかしい。誰もが認めてくれないと許せない』という妄想があるからです。

頭では『そりゃ、人それぞれ色んな意見があるよね』と相対主義者を決め込んでいても心の底では『そうはいっても、自分の考えが一番正しくて素敵なのだ』という幼稚な思考が強かったりするものです。

人から非難されたり、攻撃されたり、悪口を言われたり、あるいはたしなめられたり欠点を指摘されると、私達の心は抵抗しようとして『いやそうじゃない。違う』というふうに思ったり『相手が間違っている』『相手が歪んだ考え方をしている』と考えて言い返そうとしたり、心の中で反論しようと試みるものです。

しかしここで覚えておいたほうがいいのは、少なくてもその人たちがそういう振舞を私にしてきたというのは『ありえない』事ではなく『あり得る』事。そうなるべくしてなったのです。

相手をその様にさせる要素が何かしら自分には理解できないなりにも、そうさせてしまったのです。

面倒くさいと思う事こそ積極的に行動して、等身大の自分を成長させていきましょう。それによって充実した本来の目的に則した人生を無駄に疲れる事なく生きる事ができます。

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