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挨拶

挨拶は元々、禅の言葉です。相手の力量を測る為に問答を仕掛ける。これに対して相手はすかさず切り返す。このお互いに相手の力量を見定めるやり方の事を挨拶と言います。仕掛けた僧が知りたいのは相手の心の部分で今、相手はどのような心の状態にあるのか、一生懸命に修行に取り組んだ結果、会得したものの深さを知ろうとしているのです。そこを感じ取る事が一番の目的です。

家庭にて

長年連れ添った夫婦だから今更会話など必要ではないという考えは間違っています。長年連れ添った夫婦だからこそ日々の会話が大切なのです。無理をしてまで会話をする必要は在りませんが、大事なのは挨拶をする習慣を身につける事です。

家族の間でも朝起きたらまずは『おはよう』と挨拶を交わす事です。そうすると家族の気分は直ぐに分かります。『今朝は元気が無いなあ』『ちょっと疲れているのかな』とか家族の気持ちや体調まで伝わってきます。

歳を重ねても仲睦ましい夫婦を見ているとそこには必ず相手を思いやる挨拶が見て取れます。『行ってらっしゃい。今日は寒くなるそうですから、気を付けて下さいね』と妻が夫を送り出す。『行ってきます。お前も買い物に行く時は暖かくして行くんだぞ』と夫が言葉を返します。

たったそれだけの言葉で人の心は温かくなるものです。そして挨拶の習慣がついている家に育った子供は大人になってからも自然と挨拶をするようになります。

夫婦にとって子供は大切な『かすがい』ですが子供はやがて家を出ていきます。そうなった時、夫婦は再び自分たちで『かすがい』を見つけ出さねばなりません。お互いを思いやる温かい挨拶こそが、これから先の『かすがい』になってきます。そして全ての会話は小さな挨拶から始まります。

職場にて

朝出社した時に『お早うございます』と挨拶出来ないとか廊下ですれ違っても頭ひとつ下げられない様では困ります。エチケットやマナーといった礼儀作法には人間関係を円滑にするという効果があります。

家庭で挨拶する癖が出来ている人は『お早うございます』という言葉が自然に出てきます。挨拶をされて嫌な気分になる人はいません。誰もが『お早うございます』と挨拶されれば爽やかな気分になります。結果として気持ちのいい挨拶が出来る人は周囲から可愛がられ、仕事もやり易くなります。これは一隅を照らす存在に近づく事にもなります。

『いい歳をして挨拶もろくに出来ん』と昔の人はよく言いましたが、今では若い者に限らず年寄りまでもが一向にその挨拶が出来なくなってしまいました。それでいて、やれ思想がどうの、平和がどうのと偉そうな口をきく。そういう事ではだめだというのが儒教や禅の精神です。

『礼に始まり礼に終わる』のが武士道の精神ですが、それは生活の基本です。挨拶ができない人に大きな仕事はできません。

おはよう


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