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モンゴルウルスの習慣

時を遡る事800年、ユーラシア大陸の中心に近い中央アジアの草原で近隣の遊牧民を統一したチンギスハーン一族の国はモンゴルウルスといい、孫の代には東は朝鮮半島、西はポーランドまでを領土とする人類史上最大の帝国に成長しました。元々東ヨーロッパの一国にすぎなかった今のロシアが広大なユーラシア草原のほとんどの地域を有するようになったのは、このモンゴルウルスを引き継いだ国家思想を元にしたものがあったからのようです。

軍事パレード

近頃のTVニュースで北朝鮮やロシアの軍事パレードの様子が報じられる事が度々ありますが、あの特徴ある歩き方は統制が取れていて強い軍隊を象徴しているのだと思いますが、私には大変不自然な歩き方に見えます。オリンピックや甲子園の入場行進ではどの国の選手も膝を曲げる歩き方ですし、日本軍や自衛隊の行進にしても特に違和感は覚えません。

歩き方と靴について

これは本から得た豆知識ですが水田耕作民は泥田の中を歩く必要がある為にあの様に膝を伸ばして歩く風習はありません。記憶に新しい湾岸戦争の時のイラク軍も私達と同じ歩き方でした。苗を植えるにしても、夏草を取るのも泥田の中ではまっすぐに膝をあげて一端足を泥から抜いて、次に上から踏み下ろします。つまり、農耕民は膝を曲げて歩行します。

一方騎馬民族は行軍の時に足を突っぱねます。北朝鮮やロシアの軍事パレードを見ているとこれだと思います。日本の場合、明治から今日まで文明開化とは欧米化でした。欧米では主に革靴を履きますがやはりそれとは文化の土台が違うように感じます。

自分の足の一部の様に、また皮膚の一部の様に革の靴を履きこなす事は私達日本人には難しい。慣れるのにはあと100年から200年は掛かるのではないかと思います。そもそも私達の足は西洋の靴に向く様な足型ではありません。アラビア人も気候のせいか、大抵は雪駄のようなものを履いて革靴を履いている人は少ない。

中近東ではドレスコードのうるさいホテルやレストランではスポーツウェアを着ていると入場不可ですが、サンダル履きは入場させてもらえます。

西洋医学では偏平足は病気として扱われるらしいです。足裏アーチの形成が未発達だとか筋肉の変形のように取られます。昔の日本の農村では子供の頃から重い荷物を背負って働いたものです。筋肉が柔らかい子供の頃からそうした荷重をかけていると、それを受け止める足裏も変形してきます。接地面の広い足裏になります。

昔の日本の田舎ではそうした足を『ワラジ足』と言って褒めました。『ワラジ足の男なら娘を嫁にやろう』などと言ったのだそうです。

草原での騎馬軍団の戦闘

クリルタイとトイ

クリルタイはモンゴルウルスにおける大会議・国会を意味しました。現実には帝室会議であり、国際会議でもありました。そしてクリルタイにつきものなのが会議の後の宴会『トイ』でした。モンゴル時代の中国で書かれた『集史』やそれ以後のペルシャ語で書かれた歴史書にはクリルタイとトイは必ずワンセットになって出てきます。宴会はそれほど大事な行事だったのです。

クリルタイほどの大きな会議ではない遊牧民の部族会議はジルガと呼ばれ、その時の座席は円座としました。円座にするのは、ひとつには参加者に序列を付けない為でした。そこでは族長達や長老達が様々な事について協議、相談しました。要するに、合議制だったのです。

その点においては鎌倉武士団などの在り方と基本的には変わりませんでした。話し合われる内容は部族間の事もあれば部族内部の事もありました。そして話が終わるとそのままで宴会になりました。

アフガニスタンではジルガが全ての結び目でした。そしてその語とその習慣は直接のイメージとしてはチンギスハーンに遡り、遊牧国家・ユーラシアの国家統治システムとなっています。

私も会社が多国籍軍になったと思った時チンギスハーンに倣って、年に一度クリルタイやナーダムを開いてメンバーの結束と技能向上に取り組みました。キョーセラ創業者の稲森さんは車座で酒を酌み交わし意見交換をする『コンパ』の大切さを知って、実行してこられました。一方、今のロシアのプーチンさんの会議の座席は明らかにこれに反するものとなっています。

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