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コミュニケーション

コミュニケーションにおける言葉の役割は2割で8割はノンバーバルつまり、表情、眼光や身振り手振りなど言葉以外のものが伝わっていくと言われています。ただコロナ禍蔓延によるリモート業務やTV会議の一般化により言葉そのものの重要度は上がってきています。そこで言葉による少しでも良好な意思疎通について気を付けているいくつかの点について述べてみたいと思います。

聞き手に合わせる

会話を成立させるのは聞き手です。話し手ではありません。話し手は発するだけです。聞き手がいなければコミュニケーションは成立しません。ソクラテスは『大工と話すときは大工の言葉を使え』と説きました。聞き手の経験に基づいた言葉を使った方がいい。聞き手が期待しているものを知らずにコミュニケーションを行うことは難しい。期待を知って、初めてその期待を活用できます。

ダブル否定語は避ける

例えば子供が試験期間中にテレビゲームに夢中になっている時、お母さんはこう言います。『勉強しないといい学校に入れないわよ』、『ない』x『ない』これがダブル否定語です。『あなた、もう少し勉強すればいい学校に行けるわよ』これなら子供にとって抵抗が少ない。『プラス』x『プラス』で丸く収まります。お母さんはマイナスとマイナスを掛け合わせてプラスを言おうとしているのでしょうが、子供にはなかなか伝わりません。

子供は耳障りのいい言葉だけでは聞かない事もあり、ある種の罰や脅かしが必要なこともありますが、いつもこの調子だと、マイナス暗示にかかってしまう恐れがあります『本当にダメなんだから』が『ほらやっぱり失敗した』になり『全くあんたはだめな子だねえ。』になってしいます。マイナスの種はマイナスの花を咲かせてマイナスの実を結ぶ。大人に対してもそうですが、未知の可能性を持っている子供には特にプラス言葉でプラスのイメージ付けをしてあげるのが大事です。

『でもね』で話し始めない

相手の言った事に言葉を返す時、『でもね』で話し始める癖のある人がいます。反論したい時はそれでいいのですが、キッカケ用語として使っている人が多い。『でも』は否定語です。相手に『今からあなたの否定を始めますよ』というサインを送っている事になります。これはとても不利です。例えば『この間、ギリシャに旅行してきました』と言われて『ああいいですね。ギリシャですか』とまずは肯定。次に『そうそう、僕は今度エジプトに行きたいんですよ。』と言えば問題ありません。

しかし『いいですね。ギリシャですか。でもね、僕は今度エジプトに行きたいんですよ』となると一変します。相手の行ったギリシャという旅行先を否定している事になります。『あの人とおしゃべりするとなぜかイライラする』時などこのような『でも』でいく手を遮られている事が原因だったりするものです。また逆に、肯定的な頷きをする人と話していると気分がよくなる事にも気づくと思います。

『〜すればよかったのに』

『〜したらよかったのに』という言葉は誰かと一緒に居る時には独り言なのか相手に言っているのか微妙な感じですが、言われた方からすると何か責められてるような気になります。例えば運転しているのが自分で、まっすぐに行ったら渋滞にあってしまったような時、『さっき左に行ってたらよかったのに』なんて言われるとどう思うか?

恋人や夫婦は意外とそんなことで喧嘩している場合が多い。『何だよその言い方は。お前が運転しているわけではないのに、こっちの身にもなれよ。』『別に責めてるわけじゃない。ただ言っただけよ。何であなたって、そういちいち悪いように取るの? 被害妄想じゃないの?』という事になります。この時『さっき左に行っておく手もあったね』と言っていたとすると感じは全く違っています。まっすぐもありで(否定しないで)『左もありだった』と言うのですから。

反対意見

反対意見を言う時は相手の言う事に沿ったような体裁を整えつつ内容は否定するというような高等テクニックが日本では求められます。相手が言ったことに対して、『そうですね。こういう点はそうですね。』と、まず受け止めます。その上で『だから、私はこう思う』と、『だから』と言っていながら反対意見を述べるのです。

例として、野球の解説で次のようなものがあります。

アナウンサー『これで三振は10個め、ピッチャーの好投が光りますねー』
解説者   『いえ違います、打者が大振りなんですよ』

これではぶち壊しです。出来の良い解説者なら、『そうですね! ただ打者の大振りも目立ちます。ピッチャーは打者の大振りにも救われています』とやれば内容の面では何らかわりなく盛り上がります。ふたつの違いはただひとつ。相手の立場を気遣うかどうかという点だけです。

厳しい意見を言う時は

『不快に思われるかも知れませんが、今日は忌憚なく意見を述べさせて頂きます』といった意味の事を前置きします。あるいは自己主張をした後で、『本日はたいへん失礼な事を申し上げましたが、意のある所を汲んで頂ければ幸いです』などとへりくだり、一礼して見せたりする。『言うことは言うが、あれでなかなか礼儀正しいじゃないか』という評価を狙う。つまり自己主張が礼儀によって中和されているのです。

本音で語り、たてまえ語は使わない

本音の言葉は心と意識の両方にまたがっています。そして本音は相手の心と交流します。心に響く本音の一言というわけです。それではたてまえ語はどうでしょう? それは意識の上だけに成立している言葉です。感情や情緒がすこしも滲んでおらず、多分に嘘っぽく、単なる単語に近い言葉といっていいでしょう。『木で鼻を括る』と言われる言葉もこれに属しますが、たてまえ語は感情や情緒だけに支配されている悲鳴語の正反対です。一方は意識だけの上に乗っかり、他方は感情や情緒だけに偏った言葉としては不完全なものです。

心の病にかかりやすい人はたてまえ語ばかり口にして、心の中の本音をなかなか表に出しません。すると心と意識のパイプが詰まり、精神状態が悪くなってしまうばかりか、他人との心の交流がうまくいかなくなってしまいます。たてまえは相手の心に到達しないからです。
本音  : 自分の心➟自分の意識➟自分の言葉➟相手の耳➟相手の意識  ➟相手の心
たてまえ: 自分の意識➟自分の言葉➟相手の耳➟相手の意識

個人の所有物であると同時に他人との共有物でもある言葉をたてまえや感情語として用いると、他者との共存を不可能にしてしまうばかりか、自分の精神も不安定になります。言葉と人との正しい関係は本音にあります。本音でない言葉は聞き手の心を動かさず、自分をも裏切るのは自然の摂理でしょう。

本音で語り、たてまえはできる限り減らしましょう。

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