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『思いやり』という詐欺行為

今まで41年間感覚で生きてきた私にとって最大の謎の一つがこのことについてであった。それは「思いやり」についてである。思いやりは、相手を思ってか人に半ば強要を迫る行為であり、受ける側にとってもどちらが自分にとって大切な事かなど、甚だ疑問を残す結果となっている。イラク北部にシャニダール洞窟という遺産がある。その中から本来ある筈のない花粉が見つかり、数万年前の人骨と一緒に発見されたことから、「人間は数万年前から既に人を弔う気持ちや感覚があった」などと力説する評論家をテレビで拝見した事があるが、その時私は絶対におかしいと思った。何故なら人間とは、ある程度まで成長し、物心ついた人間を粉々にし、胸部付近にある目には見えない未確認宇宙物質が残るのみにおいて、右に移動すれば右へ移動し、左から風が吹けば左へ揺らぐだけという物理的単純現象に従うだけのこのこの宇宙空間において、数万年前の人類から現在において「相手を思いやる」などという行為は、自然現象としてありえないと思ったからである。実際、このようにも書かれている。『花粉が動物によって墓穴に持ち込まれたことを示唆する研究もあらわれている。付近にはペルシャスナネズミ (Persian jird) をはじめとするスナネズミ類の巣穴がいくつも発見されており、これらスナネズミは巣穴に種子や花を大量に保存することが知られている。このことは、洞窟内のほかの人骨の埋葬には同様の儀礼的な扱いが欠如していることについて、シャニダール4号の埋葬状況が文化的な起源に基づくのではなく自然に由来するものであるという主張の論拠に用いられている[16]。 Paul B. Pettittは「花が意図的に置かれたものだという説はもはや説得力を失っている」と述べ、「墓穴の掘られた地層の微小動物相の調査からは、穴を掘るペルシャスナネズミ (Meriones persicus) の活動によって花粉が集積されたと示唆される。シャニダールにおいてありふれた微小動物相の活動であり、現在も観察することができる』とある。大昔の人間は人に「感情」など持っていなかった事がわかるし、同時に恐ろしい変革が何者か、それとも集団によって「意図的に作り出された」とも読む事ができる。これは現在における「お金」に非常に密接に関わっているとも読め、それの殆どをブチる私はいつ反逆罪に問われてもおかしく無いだろうwwwww

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