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一億総アーティスト時代と言われて久しいけれど・・・

「プロか、アマか」の線引きってなんなんだろう?

ピアノの弾き語りで自作曲を歌うようになって3年。
あちこちのイベントやライブ、YouTubeライブ配信で歌ったりしているんだけど、音楽という分野では相変わらず「プロか、アマか」という話に終始してるなあと思う。

「プロとはなんですか?」と言葉の定義をつい聞いてしまうのが「そもそも族」の私の癖なのだけど、これ、案外明快にスパッと答える人が少ないなと思うのだ。
一番簡単なのは「その活動で生計を立ててる人」という定義だけど、だとしたら、それは腕前や音楽への思い入れやセンスや才能というものと完全一致しているとはいえない気がする。

ちなみに、私自身は、人前で歌うときや楽曲制作をしているときは自分のことをプロのシンガーソングライターだと思っている。
上手いかどうか、ということ基準ではなく「自分の音楽をいいと思って聴いてくれるファンがいる」ということで、もう、自分はプロだと思っていいし、そういうスタンスで向き合った方が、演奏する側も聞く側も気持ちがいいと思うのだ。

よく、ライブなどで、歌う前に「あまり練習できてなくて、上手く歌えるかどうか自信がないんですけど、がんばりますので聴いてください」みたいなことを言う人がいるんだけど、本当に「それ言わなきゃいいのにな」といつも思ってしまう。
聴く側からしたら、その人がたくさん練習してるかどうかとか、今日お腹を下してて調子が悪い、とか、家の前で犬のフンを踏んづけて気分を害してるとか、そんなことは一切関係ない話だから。

じゃあ自分はどうなの?と聞かれたら、完璧にできることなんて絶対ないし、自分が歌もピアノも上手いとはあまり思っていない。
ただ、自分が好きな曲や、言いたいことを歌う、というのを誰かが聞いて「いいな」と思ってもらえたら、あるいは「なんか元気出た」とか「心が軽くなった」なんて思ってもらえたら最高だな、と思いながら、そして、歌うことがただ楽しくて歌っている、という感じなのだ。

となると、私の「プロ・アマ」の定義は、
プロ=ファンのために歌う人
アマ=発表会として歌う人
という感じなんだろうな、というのが今の時点での結論だ。
そして、どちらが良いとか悪いとかもないし、プロだから偉い、アマだから取り組み方がいい加減だ、なんてことでも全然ないと思っている。

「音楽ライフアーティスト」というコンセプト

そんな風に音楽活動について自分なりに明確に捉えられるようになったのは、2年ほど前に「音楽ライフアーティスト」というコンセプトに出会ってからだ。
私の音楽の師匠である尾飛良幸さんが、なんと、これで商標を取得したそうで、並々ならぬ思い入れのある言葉。

「音楽の師匠」と言ってるのは、最初は歌が上手くなりたくてボイトレのレッスンをお願いしたところから始まって、自分で作ったオリジナル曲の添削やアドバイスをしてもらったり、DAW(音楽制作ソフト)でのカラオケ制作・歌の録音・ミックスダウン・マスタリングなどなどの技術を教えてもらったり、さらには、ライブで歌う時の心構えまで、全部丸ごとお世話になってるので、この表現が一番しっくりくるからだ。

尾飛さんの提唱する「音楽ライフアーティスト」というのは、音楽を専業にしてるかどうかは一切関係なく、その人の「ライフ=人生」から生まれる音楽を、その人本人が作り、歌い、演奏するスタイルのこと。
そして、さまざまな音楽ライフアーティストが表現する音楽を聴いて、ある時には共感したり、ある時は「そんな生き方もあるんだ!」と驚いたり感動したり、そういったアクティビティがあったら、もっともっと心豊かで幸せな社会ができるのでは?という提案でもある。

私は、このコンセプトを知って「これだ!」と思った。
尾飛さんのボイトレの生徒さんたちは、半ば強制的にオリジナル曲を「作らされちゃう」らしい(笑)。
その作品がWeb上で聴けるのだけど、どれもユニークで、なんというか「市販の」音楽とは全く別なところで感動してしまうのだ。

この中には、子どもの頃、学校の音楽の時間に歌った歌を隣の席の友達にバカにされて以来、すっかり音楽が嫌いになってしまった、という人や、悲しい出来事を歌を作って歌うことで乗り越えた人など、いろんな人生のエピソードが満載で、本当に人が生きていくってすごいことだなあ、なんて思ってしまうのだ。

私がこのコンセプトに共感するのは、私自身の音楽との関わり方というのも関係しているのかな、と思う。
4歳からエレクトーンを習い始め、一時はプロの演奏家や指導者になることも考えたけど、勝手に自分の才能を見限り「音楽で食べていくなんて無理だ」とあっさり諦めてしまった。
その後はマンドリンという楽器に出会って長年弾いてきたけど、今から思えば、そこまで好きでもなかったので、役所勤めを辞めて起業した後「今は音楽なんてやってる場合じゃない」と、持っていた楽器も楽譜も全て処分してしまった。

少し仕事に余裕が出てきた5年前に、リサイクルショップで電子ピアノを買い、仕事の合間に趣味として弾き始めたのだけれど、なんとなく物足りないな、と思っていた。
そんな時、ふと、子どもの頃に憧れていたシンガーソングライターになりたい、という思いが湧いてきたのだ。

そこから、曲を作ってみたら、子どもの頃にやっていたことというのは、どこかにちゃんと刻み込まれているものなのか、割と簡単に出来上がってしまった(歌詞を書くことだけは未だに苦労してるけど)。
メロディを書き、コードを付け、音楽ソフトのいろんな楽器を適当に選んで音を打ち込み、歌を歌って録音する。
最初は機材も持っていなくて、Macにプリインストールされている無料ソフトの「GarageBand」、歌の録音なんてiPhoneのマイクでやってた!

でも、そうして出来上がった曲を歌ってみたときに、なんとも言えない気持ちが湧いてきた。
それは、すごく大げさなんだけど「ああ、私、生きててよかったな」だった。

もし、中学生の頃に「何がなんでも歌手になるんだ!」と思って、必死にやり続けていたら、もしかしたら、いわゆる「メジャーデビュー」しているシンガーソングライターになっていたかもしれない。
でも、それで本当に今の私のように幸せな生き方になっていたかどうか、と考えたら、それもわからないな、と思うのだ。
こういう人生を歩んできたから作れる歌、歌える歌があるんだな、と実感する毎日だ。

次はエンジニア業かな?

YouTubeやInstagram、TikTokをはじめ、本当にたくさんのツールを駆使して自分の音楽を発信している人は数限りなくいる。
中には「ここから見出されてメジャーで売れたい」という人もいると思うし、同じ趣味の人と繋がって一緒に楽しみたい、という人もいて、それぞれとても素晴らしいと思う。
でも、すでに発信をしている人の中にも、こんなふうに思ってる人、もしかしたら多いんじゃないかな?
それは「もうちょっと良い感じに作れたらいいのになあ」というやつだ。

歌がすごく上手い人、とても素敵な曲を書く人、名人級の楽器の演奏技術を持っている人・・・
そういう人たちの音楽も、聴く人が聴きやすく、いいなと思ってもらえるように、より「いい音」で届ける、ということを手伝えたら、楽しいだろうなあ、って思うのだ。
なぜなら、私自身も、ミキシングの技術を教わって「こんなに聴こえ方が変わるんだ!」と感動しちゃったから。
技術的に同じでも「聴かせ方」が上手ければ、より多くの人に聴いてもらうことができて、その人が持っている本来の魅力が届きやすくなるよな、と思うのだ。

そして、もう一つは「私も自分の歌を作ってみたいけど、一人じゃ無理」と思っている人を手伝うこと!
・歌詞は書けるけどメロディは難しいな
・メロディは鼻歌でなんとかなるけど、コードが全然わかんない!
・ギターやピアノの弾き語りで歌ってる曲を
 CDクオリティに仕上げてみたい
・言いたいこと、伝えたいことだけはある!
こんな人が「音楽ライフアーティスト」になっていくのを応援できたら、もっと楽しいだろうな、と妄想中!

そんな第一歩をついに先日踏み出してみた。
友人が歌詞を書き、私の師匠である尾飛さんがそれに曲をつけた歌を私が編曲し、作詞者本人である友人が歌って、作品として完成させよう、というプロジェクトだ。
こうして録音機材を持って自宅に行って録音、そのデータを持ち帰り、今ミックス作業の真っ最中である。

自宅へ出張レコーディング!

友人の言ってた言葉がとても印象的だった。
「こんなの、テレビの向こう側のことだと思ってた」
そうだよね。私だって、こんなことするようになるなんて、ほんの3年前までは想像すらしてなかったんだもの。

録音した曲を、彼女のお母さんに聴いてもらったら、感動して泣いていて、私もついもらい泣きしそうになってしまった。
そして、もう一つ驚いたのは、彼女の友人の中に「実は私も以前に作ったオリジナル曲があるんです」という人が2人もいたことだった。
今回のように編曲・録音して作品にしてみない?という提案に、とても喜んでくれて、そちらの話もこれから進んでいきそうだ。

音楽ライフアーティストの活動が引き起こす現象は、本人の喜びや楽しさだけではなく、周囲の人たちの意識や気持ちの変化、というのも大きいと思う。
自分で作った歌、仲間と作った歌を多くの人に聴いてもらう、という体験から、感動やワクワク感、勇気や生きるエネルギーが生まれてくれば、それは確実に世の中を変える力になる、というのを実感した出来事だった。

レコーディングを終えて、田んぼに囲まれて撮った写真には龍のような飛行機雲!

日本中のまだ知らない土地に、まだ出会っていない音楽ライフアーティストがたくさんいて、数え切れないほどの感動のドラマがこれから生まれていくのかと思うと、これはもう張り切ってやり続けるしかない!と勝手に一人ニヤニヤしてしまう土曜の午後であった。《完》

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