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小説を書くのが好きではない理由

雑文は平気で書けるのに、小説の体裁となると、とたんに嫌になる。衝撃を受ける読者さんたちへの謝罪をこめて、正直に説明します。

誰だってネタはある

 こんなおもしろいことがあった。ドラマを見て感涙。なかなかよくできた設定を思いついた。いいキャラクターが生まれた。

 書きたい衝動は、いつもポツリポツリと単体でやってきます。

 私が小説家だと知っている小説家でない知人たちは、ちょっとしたきっかけで「いまのこれ、お話しになるんじゃない?」と簡単におっしゃる。

 いやいや、ならないから。
 物語を創り上げるというのは、少なくとも私にとって、そんな簡単なことじゃないから。

 仮に、きちんとしたキャラクターが出てくる、きちんとしたストーリーの夢を見たとしよう。
  または、既存作品のノベライズ。
 単体ではなく小説要素がパッケージで来た。
 じゃあ書ける?

 私はそれだけじゃ書けないなあ。

▼お膳立てを検証する

〈小説書けるでしょパック〉の中身を点検して、本当に物語になるかどうかを確かめなきゃいけません。

キャラクターとストーリーと設定と

 ここは本来、別々に項目を立てるんだろうけど、私はいっぺんに関連付けるのでそのまんま説明します。

 私の場合、大切なのはストーリー。なにがなんでもストーリー
 読者さんをどこへ連れていくのか、どこまで連れていくのか、どれほどの印象を残せるのか。
 読み終わった後、ああ読んでよかった、と満足させて初めて、私は小説家として生計(たつき)を立てられる。
 いわば、よかったと思わせることが私の責務だと――ああ、こんなふうに身構えるから、小説を書くのがイヤになるんだろうなあ。

 で、そのストーリーは、

・どこへ(展開の意外性)
・どこまで(日常からの飛躍)
・どれほど(印象深さ)

を念頭に置いて、山谷つまり起伏を作ります。

 これは 「好き」を表現できますか? のシンデレラ曲線や、そのあとの実践編で解説したとおり、好きの爆発の前には鬱屈、幸せの前には不運、成功の前には努力、という、ハズカシイくらいの定石ですね。

 定石であるからこそ、読者さんに納得してもらうだけの理由が必要です。地獄の底に叩き落とすのも、天に昇るかのようなカタルシスを設けるにも、ご都合主義ではしらけられるだけですから。

ストーリーの納得を求めて(人物)

 スムーズな展開と、大いなるカタルシスを得るために、私はキャラクターを設定します。

 このキャラクターならこの物語を引っ張れる。

 そのためには、こーゆー性格、このような生い立ち、何かあったときにはこんな反応。

 大事なのは「そのキャラを視点の中心として語ってもおかしくないか」です。
 いくら派手に展開してくれそうなキャラクターでも、視点にふさわしくなければそれは脇役にします。

・何を知っていて何を知らないか。
・読者に寄り添って「だんだん状況が判る」人かどうか。

 ノベライズだとこの点はたいへん苦労します。
 違和感なく視点を切り替えるための(または、オリジナルではシーンが変わっているけれどあえて変えないための)きっかけ、誰が何を承知しているかの知識の差、情報を誰がいつ出すかの決定、などなど。オリジナルから離れないように、けれどポンポンシーンが変わって読みにくくならないように調節するのはとても難しいです。私にはね。

 完全な神の視点(映画のように、シーンや視点がどんどん切り替わっても違和感のないもの)が書けるんならいいんでしょうけど、私は苦手なんです。

 Web連載の「妄想少女」を始める前に、チャレンジしたものがあったんですが、編集さんに描写の切り離しのまずさを指摘されてあっさり引っ込めてしまいました。

 いずれはトライしてみたいなあ。完全ドライな三人称。

ストーリーの納得を求めて(世界設定)

 ホームグラウンドがSFなので世界設定と表現しましたが、普通の小説だと状況設定になるでしょうか。

 ストーリーが自然に載る背景を作っておかないと、読者の納得を得られないどころか、ストーリー自体が成り立たなくなってしまいます。

 何度かご披露した「オパールと詐欺師」(『不見の月 博物館惑星2』収録)は、犬の歯を宝石にしたら……という話のために、博物館惑星の科学技術ではそれができるんだ、ということにしています
 すでに設定していた世界観を半歩のばして、「ここならこれもできる」と納得してもらおうとした次第。

 キャラクターと世界設定。
 物語をささえるこの二つがうまく組み合ってくれないと書けない。

 邪魔臭いです。資料調べたり、アタマが沸騰するくらい考えたり。ああだこうだと決めていって最後に卓袱台ひっくり返したり。

 自分が納得できなければもちろん読者は納得させられないので、必死です。

 むりやり理屈を付けたり、ウソっぽくならないようにシーンを作り替えたり、いやいやこのキャラはこれを知ってちゃおかしいでしょ、てなところをどう手直しするか唸ったり。

 ここがまずつらい。

 ノベライズだと、原作で納得できないところがいくつか出てきます。そうなると、辻褄合わせをどうしようかという悩みも発生します。

▼いざ書くときの苦痛

 上手に話は組めた。
 いわゆるシノプシスができた状態まできても、やっぱり気は晴れません。

魅力的な導入

 読み始めてもらわないことには、読者さんをどこにも連れて行ってあげられない。
 なので、ぐっと引き込む導入部分は大事です。

 何から語り起こすのか。

 博物館惑星ネタが続いて申し訳ないですが、『歓喜の歌 博物館惑星3』所収の「遙かな花」は、実は出だしが違っていました。

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 そうなんです。捕まえる前のトコロを書いてたんです。舞台説明も最初にして。
 でもなんか展開がノロい
 なので、

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 セリフ始まり、即つかまえる、事情はあとから、というものに改めました。

 後から冒頭を直すというのは、実はあまり苦労ではありません。
 ダメだ、と気が付いたときにはすでに話はだいぶ進めているので、そこにふさわしい導入に変えてやればいいだけ、つまりは、改善点がはっきりしているからすんなり書き換えられるんです。

描写……描写……

 なんといっても邪魔臭いのが、頭の中のイメージをどのように伝えるかという描写問題。

 コレにはふたつあって、

・書く順番(注目点や考えの移動がスムーズになるように)
・表現力

 が悩みどころなんです。

 前回の 感動をつかまえる でやったように、絵のようなイメージがあると思いねエ。それをどう書く?

・サクラから? 菜の花から? 春だということから?
・何に注目させたいの? 描写でどんなふうに誘導するの?

 たとえば菜の花を書くにしても、「ありふれた」「あざやかな」「なつかしい」「あっけらかんと咲く」などなど、選ぶ形容は千差万別。
 それによって読者さんのイメージを、今後の展開や視点人物の考え方に誘導してやらないといけない。
 菜の花は小学校時代を思い出すなつかしいものだ、という気持ちの視点人物なのに、けばけばしい黄色、とかって描写するのはおかしいでしょ。

 そんでもって、前回の例のように、そこから、広い空、とか、解放感、とか飾ってやって、さらに作品世界を〈こちらの思うように見せて〉あげないといけない。

 ただ単に「菜の花とサクラ」ですませれば、きっと楽なんだと思います。

 さらに小説の場合は、菜の花、サクラ、といった共通言語では伝えられない「目にしたこともないアレ」や「感じたことのないソレ」を書かなきゃいけない。

 この点、ノベライズ(もしかしたら二次創作も)がいいのは、すでに絵や前提となるイメージは読者さんと共通認識を保てているので、せいぜい髪色や鋭い目つきと書くだけで〈あのキャラ〉を思い描いてくれるし、〈映像研の建物はボロボロだった〉と書けば、ああアノ場所ね、と伝わる。
 私がノベライズを立て続けにするのを避けたかった過去があるのも、どんなに好きでも二次創作はしないと決めているのも、この楽さを知ったらオリジナルに帰って来れないかもしれないという怖れがあるからです。

そして筆は止まる

 書き進めているあいだも、シノプシス通りにはいきません。

 あれ、この展開はのろすぎるかも。
 ちょっと寄り道(ストーリー的な枝葉)があったほうがいい?
 会話書くの楽しすぎて多くなったなあ。

 のような、わりと手当が簡単なものから、

 盛り上げるためのアクション必要だけど、きっかけどうしよう。
 情報出しはいつしよう。
 なんか深みがたりないんだよな。

 的な、かなり傷の深いものまで、さまざまな葛藤が生まれてしまうんです。

 イヤなもんです、この状態。
 やらなきゃいけないのに、自分が巧くやれてないと自覚するんですから。
 ネットスラングで言うなら「悩みすぎてハゲ散らかす」感じです。

いつも理想が邪魔をする

 脳裏に思い浮かべているのは、おもしろいストーリー、深い感動、魅力的なキャラクター。

 シノプシスでは、ああやってこうやってこんなことがあってこう解決したら、それは達成されると信じてた。

 でも、書き出すと悩む。悩んで悩んで、困って困って、最善の道を探しても探しても迷路に迷い込むばかり。

 もうダメ、と投げ出してしまいたいけど、締切はやってくる。
 投げ出すことは、小説家でなくなること。
 自分で自分に負けること。
 世界のどこかにいると信じている読者さんを裏切ってしまうこと。

 悩んで悩んで、困って困って、最善の道を探して探して。
 たまには「これで勘弁してください」とそっと頭を下げ、時には「ちょっとはうまくいったと思いますがどうでしょう」と顔色をうかがい、石にかじりついてでもエンドマークまで持っていく。

 なんとか書き上げられたときの解放感は、それはもう、物語で語る以上のカタルシスなんですが、それも一瞬。

 ゲラ(校正)の段階でマズいところにまた悩みます。
 出版されたアカツキにも、私の場合はほとんど感想をもらえないので、あれでよかったんだろうか、なにかミスしてないだろうか、気に入ってもらえたんだろうか、今度も売れないんだろうか、と気分はどんどん落ち込みます。

 中には、もっと楽しく原稿を書いている小説家もいるとは思います。
 それぞれ悩みは当然あるでしょうが、書くのを楽しめる人もいるんだろうと思います。
 次から次から思いついたモノを、後悔する暇もなくどんどん作品にしていけるバイタリティーを持った作家もいると思います。

 そう、スピードも大事なんですよ。
 デビューしたての頃、ソノラマの編集さんから「ゲラが出る時にはもう次の原稿が仕上がるくらいのペースで」と言われていました。
 私は言外に「それだったらゲラがマズくても、いま書いてる作品で挽回するぞと思えるよね」と解釈しました。

 でもなあ。私みたいなうじうじした理想ばかり高いタイプは、スピードすら出せないんだよなあ。

 こうした常体敬体入り交じりでもかまわない駄文だったら、いくらでも書けるんだけどなあ。

 ああ、やっぱり原稿を書くのは好きではありません。
 けれども、常に最善は尽くしています。
 頑張れ、私!

みなさまのお心次第で、この活動を続けられます。積極的なサポートをよろしくお願いします。