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「去稚心、振気、立志、勉学、択交友」 〜 橋本左内が『啓発録』に書き遺したこと


橋本左内(はしもと さない)という人物を、ご存知でしょうか?

 橋本左内は幕末の1834年に生まれ、25歳にして「安政の大獄」により、幕府に処刑されます。
 まるで花火のような激しくもはかない人生。しかし彼が影響を与えた人物には、数年ばかり年上で、ほぼ同時期に処刑された吉田松陰のほか、西郷隆盛など幕末の英雄たちがずらりと並びます。
  ── 『啓発録』(橋本左内、致知出版社) 「啓発録とは…」より

橋本左内『啓発録』表紙

 やはり安政の大獄で捕らえられていた吉田松陰が 左内 刑死の知らせをきいて「左内と半面の識なきを嘆ず」(左内と一度も会えなかったのが悔やまれる)と発言していますし、西郷隆盛が西南戦争に敗れて自決するときまで大切に持っていたのは橋本左内の手紙だとも言われています。

 読書会やドラマでその名を聞くたび、幕末を生きた大人物の心をつかんだ橋本左内とはどんな人物なのかが気になっていました。

橋本左内の著した『啓発録』

 致知出版社版で現代語訳をした夏川賀央さんは、左内の著した『啓発録』をこんな風に紹介しています。

 その左内の代表作が『啓発録』。15歳のときに自らの大志を忘れぬように残し、それを若い武士たちに向けて発信した書物です。たった数十ページの短い書物ですが、読んでいただければ誰でも、現代人が忘れてしまっている大切なものが、ここにあることに気づくでしょう。

本書には、吉田東先生同窓で学んだ儒学者 矢島皞のこんな記述もあります。

 左内が少年のときに著したのが、この『啓発録』です。
 彼はそれを私に見せ、叙を書いてくれと頼みました。
 受け取ってこれを読むと、その一語一句が、まさに忠孝節義の精神に満ちています。読むごとに感激し、励まされ、精神が奮い立つのを感じます。
 読めば読むほど、彼が問いかける言葉からは気迫が溢れ、どんな人間が読んでも心を燃え立たせてくれることは間違いないでしょう。

越前福井藩の藩医の家にうまれながら、学びを広げたいという思いで大阪に出て緒方洪庵の適々斎塾に入門。その後、病に倒れた父の後を継いで藩医となりますが、あらためて江戸に遊学したあと、福井藩校 明道館の学監(監督役)に就任するなど、若くして大役を任されていきます。

そんな左内が十代半ばで著した啓発録には、何が書かれていたのでしょうか。

ロジカルにつながる五項目

 『啓発録』では、学びの入口にたった初心の人 向けの「最も大切なこと」を五項目にわけて解説されています。

一、稚心を去る ── 去稚心
一、気を振るう ── 振気
一、志を立つ ── 立志
一、学に勉む ── 勉学
一、朋友を択ぶ ── 択交友

選ばれた項目それぞれの中身もさることながら、さらに感心するのはこれら5つの項目が繋がりをもって語られていることです。

例えば、1つめの「去稚心」の最後にはこんなくだりが登場します。

 「稚心」に害があるのは、それを除かない限り、士気がまったく奮わないからだ。
 いつまでも腰抜けから脱却できず、一人前の人間にはなれない。
 だからこそ私は思う。
 「幼き心を捨て去ること」こそが、武士の道に入る第一歩なのだ。

このあと、2つめの「振気」の項目で、「負けたくないと心を奮い立たせる」「士気」「覚悟」が語られています。

もうひとつの例として、3つめの「立志」の最後にはこんな記述があります。

 志を立てる近道は、やはり古典や歴史を学び、心を大いに感動させることだ。
 感動したら、その内容を書き出し、壁に張り出しておこう。あるいは、いつも使っている扇子の裏にでもしたためておこう。
 毎日、朝、暮れ、夜と、その言葉に目を留め、声に出して読もう。
 そして我が身を省察し、及ばない点を学ぶのだ。
 何より、志に向かって前進する自分を楽しむことが肝要だ。

 志が立っているならば、それに向かって勉強に励まなければ、その志は、太く逞しく育ってはいかない。
 行動しなければ聡明さは失われ、道徳は初心のころに戻ってしまうのだ。

このあと4つめの「勉学」が語られていく、そんな風にロジカルにつながっているのです。

あえて文章を世に示す

『啓発録』で初心者の学びにおける5つの要諦を述べたあと、左内はこの文章に込めた意味を次のように語っています。

 最初は自分自身が、こうした思いを忘れぬよう、覚書として本書を記していた。
 しかし、今の時代は何があるかわからない。
 後々、私が亡くなるような日があっても、我が思いが伝わるよう、あえてこの文章を世に示してみたのだ
 皆さんはこれを読んで、何を感じただろうか?

 左内がこの文章を書いたのは15歳でしたが、まるで自身が若くして亡くなる未来を予見していたような書きっぷりです。

 そして『啓発録』の最後はこんな風にしめくくられています。
 まだ何者でもない自分の将来をモヤモヤとした思いを抱えながらも、書くことで振り切ろうとしたようにも感じられます。

 私は代々、医者をしている家に生まれた。
 もし私がそのまま家を継ごうと考えたなら、今、武士として心に抱いている志を遂げることは不可能だろう。
 しかし、私がどんな仕事をしたとしても、その志は本書に記したようなところにあるのだ。
 もし後世の人が私の心を知れば、私の志を憐れむかもしれない。
 しかし、私が信じた「人としての生き方」を、あなたには理解してほしいのだ。
 そんな人が、これからの時代に多く現れることを、私は願っている。

大切だと感じたことは、書き物として世に示す。これは、今の時代においても重要なことです。頭の中にあるだけではいくら立派な説や素晴らしいアイデアも、それが広く大きく影響を与えることは望めません。

未来の自分自身のため、あるいは、後から来る人たちのために、たとえ拙くとも自身の志を言葉にしておこう。SNS へのつぶやきだけでなく、note やブログへ書き残し、オープンにする価値を改めて考えさせれる読書体験でした。

啓発録_振気原文

※左内の想いが気になった方は、原文も収録されている『啓発録』(致知出版社、現代語訳 夏川賀央)をぜひ読んでみてください。啓発録以外に「学制に関する意見文書」「為政大要」「松平春嶽撰『橋本左内小伝』」が収められています。

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『啓発録』を読むきっかけ ── 読書会人間塾 

 僕が本書を読むきっかけとなったのは、月1で参加している読書会人間塾でした。(第114回読書会の課題図書が『啓発録』

 当日ディスカッションでも「書き遺すこと」について対話したためか、会の最後に配信された塾長総評でもそのことが触れられていました。

古典を読む読書会にご興味ある方へ、今後の予定はこちらです(↓)



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