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「感謝を好み、恩を嫌う現代人」 〜『生くる』より

珠玉の言葉もいいけれど、ザラザラとした突き刺さるフレーズもまた、刺激あふれる「言葉のごちそう」です。

先日、執行草舟 氏の『生くる』を読みました。
(「生きる」ではなく「生くる」)

実業家、著述家、歌人である執行草舟氏が、節ごとにテーマを立てて、「学」とは何か、「真実」とは何かなどを語っていく骨太の一冊。1ページ1ページ読み進むのにとてもエネルギーを要する、そんな本でした。

似非民主主義を疑え

本書内で、執行氏が繰り返し語るのは「似非(えせ)民主主義」という言葉です。現代日本人へ「それでいいのか?」と問いかけるメッセージの数々が強く印象に残ります。

また、似た印象をうける2つの概念について、その違いが述べられています。

たとえば
・誠意と善意
・憧れと夢
・自(おの)ずからと自(みずか)ら
・仕合わせ と幸福
etc.

読者である僕らの常識に「これでもか!」と投げ込んでくる豪速球は、読むだけでもヒリヒリと痺れるような、不思議な体験でした。

なかでも、僕の心に一番響いたのは、恩と感謝の違いです。

恩と、似て非なる感謝

「恩について」という節から執行氏の言葉をいくつか抜書きします。(太字は特にひっかかった箇所)

恩と似て非なるものに感謝がある。(略) 今の日本社会では、恩の意識が廃れたのと反比例して感謝がもて囃されている
恩には具体的な対象があり、感謝にはそれがない。(略) 目に見えない神仏を崇める宗教では感謝は重要となる。しかし、現実の人間社会においては無力なのだ。
感謝は、本人がそう思っているだけで、行ったことになり、満足できてしまう意識と言える。それに比して恩は、必ず何らかの形を示して報いなければならない
言い方を換えれば、感謝は、しっぱなしでもよいが、恩は返さなければならない。この決定的な違いが、感謝を好み、恩を嫌う現代人を生み出したと私は推察する。

「感謝を好み、恩を嫌う現代人」とは痛切な指摘です。

改めて自身の言動をふりかえると、「感謝いたします」「〇〇に感謝!」などの発言や書き込みをけっこう多くしていることに気づきます。感謝と発言することで「満足できてしま」っており、受けた恩をそこで終わりにしていたのではないか。ハッとさせられました。

『生くる』内のメッセージ

本書『生くる』には、他の節にも「ん?」と考えさせられる問いや、「あぁ…」と肚に落ちるメッセージが多数おさめられています。

学問をしたければ、過去に学問と呼ばれたものを人生の中心に考えていた人の、人生の全部を学ばなければならない
本物を大切に思う心を深く宿して、それでいて本物を求める心を育成することが、人生を豊かにする。
その記憶を一片の赤誠と呼んでいる(略)。知を巡らすことのない、無垢な心をもつ赤子のような誠としか言えない。人の情に触れて、ひたすらに泣いた記憶だ。
人生とは、貪ることさえなければ、他人からいくら手助けしてもらってもよいのだ。
無償とは、神も達したことのないほどの、理想論なのだ。だから人間にはそれをそのまま実行することは、絶対に不可能だと言いきれる。
自分が汚れていく過程の中に、他者を思いやる言動が生まれてくる。そして、どんなに汚れ果てても、他者に通じさせたいと思う心を持つ者を、誠意ある人物と言う

いかがでしょう?
続きを読んでみたくなりませんか(笑)

 * * *

そんな『生くる』をもとに学ぶ読書会が、12月22日(土)午後、中目黒にて開催されます。(主催:人間塾読書会

 ▼12月22日 第83回 人間塾in東京『生くる』に学ぶ読書会

本書『生くる』にご興味ある方、また、こういう本から学ぼうとしている人たちか気になる方は、ぜひご参加ください。



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