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生命をかけて次の世代に伝える大切なこと 〜『モリー先生との火曜日』『君たちはどう生きるか』『留魂録』

人生100年時代。すでに聞き慣れた言葉になりました。
平均寿命は伸びつづけていますが、当然この世の全員が100歳まで生きるわけではありません。人はいつかその生を終える日を迎えます。

つい先日、僕より十歳も若い仲間がこの世から旅立っていきました。
お通夜から帰宅して本棚を眺めるうち、自然と手が伸びた幾つかの本があります。

共通点は、生命をかけて次の世代に大切なことを伝える姿でした。


大切なことを次の世代へ

本記事では次の世代へ送るメッセージが印象的な3冊のうち、記録しておきたい文章をそれぞれ3つずつ抜書きします。(太字は特に重要だと感じた箇所)

『モリー先生との火曜日』/モリー先生→ミッチ

大学時代の恩師モリーがALSに冒されていることを、偶然観たテレビ番組インタビューで知ったミッチ。火曜日ごとにモリー先生に会いにいくことになり、その“個人授業”から多くの言葉を受け取ります。

「実はね、ミッチ。いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べるんだよ

p86「第四の火曜日──死について」

「私はいつも、もっと仕事をやっていればよかったのに、と思っていた。もっと本を書いていれば、とか。そう思っちゃ自分を傷めつけていたものだよ。今では、そんなことやってもむだだったことがわかる。仲直りすること。自分と、それから周囲の人すべてと仲直りしなければいけない

p169「第十二の火曜日──許について」

「人間は、お互いに愛し合えるかぎり、またその愛し合った気持ちをおぼえているかぎり、死んでも本当にほんとうに行ってしまうことはない。つくり出した愛はすべてそのまま残っている。死んでも生きつづけるんだ──この世にいる間にふれた人、育てた人すべての心の中に

死で人生は終わる、つながりは終わらない

p176「第十三の火曜日──申し分のない一日」

残された人、託された人に対しても、重くならないよう、支えになるような言葉を選ぶモリー先生。その思いやりの深さを感じます。

(参考) 2019年に投稿した関連note


『君たちはどう生きるか』/叔父さん→コペル君

吉野源三郎さんの小説『君たちはどう生きるか』。1937年7月に新潮社「日本少国民文庫」の一冊として出版されたこの本、2017年に羽賀翔一さんが漫画化したことで話題になりました。(この夏に、宮崎駿監督がタイトルのみ拝借した映画を公開するというニュースもありますね)

本書は、中学二年生の主人公 本田潤一くん(愛称:コペル君)が日常生活や友人関係のなかで悩み葛藤しながら気づいたことが描かれています。作品中には登場人物である叔父さんがコペル君に宛ててこっそりしたためていく「おじさんノート」が出てきます。 コペル君が将来読むことを前提として、父親がわりであるおじさんが書いた文章です。ここではその中から3箇所選んでご紹介します。

肝心なことは、世間の眼よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持を起こすことだ。いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断をしてゆく時にも、また、君がいいと判断したことをやっていくときにも、いつでも、君の胸からわき出て来るいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない

P56 「二 勇ましき友」

だが、コペル君、人間は、いうまでもなく、人間らしくなくっちゃあいけない。人間が人間らしくない関係の中にいるなんて、残念なことなんだ。たとえ「赤の他人」の間に立って、ちゃんと人間らしい関係を打ちたててゆくのが本当だ。(略)
人間が人間同志、お互いに、好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことは、ほかにありはしない。そして、それが本当に人間らしい関係だと、──コペル君、君はそう思わないかしら。

P97-98「三 ニュートンの林檎と粉ミルク」

──君も大人になってゆくと、よい心がけをもっていながら、弱いばかりにその心がけを生かし切れないでいる、小さな善人がどんなに多いかということを、おいおいに知って来るだろう。(略)人類の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多いのだ。

P195「五 ナポレオンと四人の少年」

この本自体はフィクションです。とはいえ、戦時体制が進んでいくなか、強くあれ、勇ましくあれ、という世間の風潮に一石を投じて弱い心や葛藤する姿を描いたストーリーはかなり勇気のいるものだったはず。まさに生命をかけて未来を担う若者に託したメッセージだと感じます。

(参考) 2015年に書いたブログ記事


『留魂録』/吉田松陰→誠の心を受け継ぐ人

吉田松陰といえば松下村塾。明治維新や明治政府で活躍する多くの人物を輩出したことで有名ですよね。一方、幕末の黒船来航で圧倒的な国力の差に松陰が驚愕し、西洋を学ぶため密航を試みたことはどこまで知られているでしょうか。僕は四十を過ぎるまで知りませんでした。

『[新訳] 留魂録』(PHP研究所) は、そんな波瀾万丈で太く短い30年の人生を生き切った松陰の言葉を集めたもの。獄中で書き残した「留魂録」のほか、手紙や小文として書いた文章を現代語訳して解説付きで掲載している一冊です。
本書の中から次世代を強く意識して書かれた3つの文章をピックアップしました。

私は、私のあとにつづく人々が、私の生き方を見て、必ず奮い立つような、そんな生き方をしてみせるつもりです。そして私の魂が、七たび生まれ変わることができれば、その時、はじめて私は、「それでよし」と思うでしょう。
はたして私に、そういう生き方が可能かどうか……、それは、ひとえに今後の私の生き方にかかっています。そのような思いを込めて、私は、この「七生説」を書きました。

P47「第一章 死生を想う」(七生説)

ですから、死んで自分が“不滅の存在”になる見込みがあるのなら、いつでも死ぬ道を選ぶべきです。また、生きて、自分が“国家の大業”をやりとげることができるという見込みがあるのなら、いつでも生きる道を選ぶべきです。生きるとか死ぬとか……、それは“かたち”にすぎないのであって、そのようなことにこだわるべきではありません。今の私は、ただ自分が言うべきことを言う……ということだけを考えています。

P166「第四章 死生を決す」(高杉晋作宛の手紙)

もしも同志の人々のなかで、私のささやかな誠の心を“あわれ”と思う人がいて、その誠の心を“私が受け継ごう”と思ってくれたら、幸いです。それは、たとえば一粒のモミが、次の春の種モミになるようなものでしょう
もしも、そうなれば、私の人生は、カラばかりで中身のないものではなくて、春・夏・秋・冬を経て、りっぱに中身がつまった種モミのようなものであった、ということになります。同志のみなさん、どうか、そこのところをよく考えてください。

P241「第五章 死生を定む」(「留魂録」第八条・後来の種子)

「生きて大業をやりとげる見込みがあるなら、迷わず生きろ」というメッセージは力強いですね。幕末と現代では「生・死」についての感覚が異なっているものの、次の世代へ向けて大切なことを行動で示し、誠の心を広げていくんだ!という強い想いを感じました。

(参考)本書に出逢った人間塾読書会を紹介した記事


おわりに

大事な人へ「どうしても伝えたい!」という想いで書かれた言葉には、読んでいて大きな力を感じます。今の世に住む身として、これら先人の遺した言葉や想いを受け取って、少しでも次の世代へ繋げていきたい。そう思える体験でした。


なお、3つ目に紹介した『[新訳]留魂録』から学ぶ読書会を 7月29日(土)午後に開催予定です。午前中には世田谷の松陰神社・豪徳寺を参拝するオプションツアーも予定しているので、ご興味がある方はあわせてご参加ください。


(おまけ)高校生だった僕が父から受け取った手紙

 当時元気だった父なので、生命をかけて書いた言葉ではないはずです。それでも、機会をとらえて言葉にしたため、贈ってくれたことを今になって大いに感謝しています。


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