「誠意正心をもって現在に応ずる」 〜『氷川清話』より
勝海舟の晩年の談話を集めた回想録『氷川清話』を読みました。
本を読む前に「勝海舟」と聞いて思い浮かんだのは、咸臨丸でアメリカへ渡った武士、海軍操練所での坂本龍馬の師匠、西郷隆盛と江戸城無血開城のため渡り合った立役者 etc.…。
実際に読んでみると、ちゃきちゃきの江戸っ子口調で語られた人物評(けっこうバッサリ斬っている 笑)や 明治維新前後のエピソードが実に興味深く、さらには海外事情や市中の暮らし、文芸方面にも通じる視野の広さ、なにより、常識にとらわれない大きな ”人物” だったことを感じます。
西郷への想い
そんな『氷川清話』のなかで、何度もなんども語られるのが西郷隆盛のことです。
西郷におよぶことができないのは、その大胆識と大誠意にあるのだ。おれの一言を信じて、たった一人で、江戸城に乗り込む。おれだってことに処して、多少の権謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった。(p.55)
西郷がおれに対して、幕府の重臣たるだけの敬礼を失わず、談判のときにも、始終坐を正して手を膝の上にのせ、少しも戦勝の威光でもって敗軍の将を軽べつするというようなふうがみえなかったことだ。(p.59)
この東京が何事もなく、百万の市民が殺されもせずにすんだのは実に西郷の力で、その後を引き受けて、このとおり繁昌する基を開いたのは、実に大久保の功だ。それゆえにこの二人のことをわれわれはけっして忘れてはならない。(p.277)
その他にも複数の箇所で、西郷を引き合いに出して当代の人物をくさしたり、当時のエピソードを紹介しています。
『氷川清話』のもととなった語りは、日清戦争後の明治30年、31年頃らしいので、西南戦争からはすでに約20年が経っています。そんなときでもこれだけ語るのは、西郷隆盛という人物へ相当な惚れ込んでいたのでしょうね。
狂・賊・誠
至誠の人 西郷とのエピソーを語ったあと、『氷川清話』の最終節では勝海舟自身もこんな風に語っています。
世間の人はややもすると、芳を千載に残すとか、臭を万世に流すとかいって、それを出処進退の標準にするが、そんなけちな了見で何ができるものか。男児世に処する、ただ誠意正心をもって現在に応ずるだけのことさ。
各種情勢を見通していた勝海舟ですが、意識していたのは未来人の目ではなく「現在」であり、そこに誠意正心をもってあたれ、というのです。
上の言葉はこんな風に続きます。
あてにもならない後世の歴史が、狂といおうが、賊といおうが、そんなことはかまうものか。
要するに処世の秘訣は「誠」の一字だ。
狂・賊といわれても気にしない。
最後のさいごは己のなかにある「誠」を信じて、現在にあたるのさ!
そんな勝海舟の語りが聞こえる読書体験でした。
※カバー写真は、読書会仲間 Kojikojiさん撮影。note への掲載を快諾してくれました(感謝!)。
もう1つ提供してくれた写真が、こちらの「西郷南洲・勝海舟 会見の図」。JR 田町駅にある壁画だそうです。毎日見ていたはずの景色が、本を読んでから一変したのだとか(笑)
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