無宗教だった俺がクリスチャンになるまで4

written by wattle🌼

■ 遠藤周作が見ようとした「何か」
『沈黙』の後、数冊読み終わる頃には遠藤周作は俺の最も好きな作家になっていた。
(一人の作家の本をこんなにたくさん読むのは、10台でハマっていたラノベ以来だったw)

遠藤周作はクリスチャンの作家で、小学生の時に母親が洗礼するのと一緒に、洗礼を受けさせられた。
母親から与えられた、「ぶかぶかの服」のように自分に合わない異質なものを理解する、というのが作家遠藤の生涯のテーマとなった。
そしていつの頃からか、遠藤周作が見ようとした「何か」を、その視線の先にあるものを、同じように見てみたいというのが、遠藤作品を読む動機になっていった。

遠藤周作のファンクラブにも入会した。ここでは遠藤周作の知人・友人から、生前のエピソードを色々と聞かせていただけたりもした。

この辺りで、薄々気づきだした。
遠藤周作の作品は膨大にあり、大学には遠藤研究者がいる程なので、「遠藤作品を読みきって、勉強しきって理解する」というアプローチは物理的に無理っぽいことに。(遅読だし。)
そしてさらに、本当に遠藤周作の見ていたものを同じように見たいと思うなら、俺自身も「ぶかぶかの服」を着てみる、つまり覚悟を決めて自分自身クリスチャンになることをしないと、そもそも仕方がないんじゃなかろうか、と。

・・・でも、「クリスチャンになる」って、いったいなに。。。?(続く)

written by ひろびろ🍀

遠藤周作が見ようとした「何か」を、その視線の先にあるものを、同じように見てみたい

遠藤周作の何かがwattleの琴線に触れたんだね。宗教というテーマでは俺は未経験の領域で、なかなか想像しきれないけども…。wattleがジリジリと糸で引っ張られて今に至る経緯が、少しずつ見えてきた気がする。笑

続き待ってます!

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