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無宗教の俺がクリスチャンになるまで1

written by wattle🌼

今回から連載で、wattleの信仰についての語りを聞いてほしいと思います。何回で完結するのか、全く見えない(笑)

無信仰だった俺がキリスト教の信仰を持つに至った経緯、信仰を通して俺が日々どんなことを感じたり、考えたり、学んだりしているかを書いてゆきたいと思います。

■ 宗教多元主義
宗教といっても、日本人なら、神道、仏教、キリスト教、イスラム教の4つはすぐに思いつく。俺が選んだのはキリスト教だったんだけど、キリスト教が他の宗教より優れているとは思っていない。宗教同士の関係性を考える学問(神学)があるのだけど、「神」「真理」「超越的な何か」…とか何かそんなかんじのまのを山の頂上と捉えて、そこに至る道はいくつもある、それが1つ1つの宗教である、という考え方がある(宗教多元主義)。
この考え方の是非もあるんだけれど、俺は基本的には宗教全般をこの考え方で認識している。
(ちなみに、対概念として、「宗教排他主義」がある。自分たち以外の宗教は劣っている、「真理」には到達できない、とする考え方)

敬愛する遠藤周作がこの多元主義の考え方に立っていたことは大きい。一方で、自分の経験としても、去年ムスリムの友達に信仰について打ち明けたときに、めちゃ意気投合して、「一緒に信仰がんばってこうね!」(?)と思い合えたこともあり、宗教多元主義が肌に合うなと考えている。

それで、何が言いたいかと言うと、俺はこれからキリスト教のことを書いてゆくけれども、ひろびろにはそれを別の世界のことと思わず、自分にも置き換えられそうなものとして読んでほしいな、ということ。「山」にのぼるルートには、もしかしたら「無宗教」という道もあるかもしれない。ただ、長い歴史をもつ宗教には、先人たちが人生をかけて、時には命をもかけて切り拓いてきた山道や道標が存在するという違いがあるだけかな、という気がする。(こういう表現もちょっと「排他主義」っぽいので、気をつけたいところ)

written by ひろびろ🍀

相変わらず文章わかりやすい。笑
宗教多元主義も宗教排他主義も知らなかった…

というか、俺はもともと宗教に興味がない方だと思うんだよね。

高校時代に倫理のS先生の授業で「人間にとっての宗教とは?」みたいなテーマで小論文を書いたときに「人間の心は弱いからそれを支える拠り所や信条が必要で、それが宗教なのだろう。でも別に宗教じゃなくても、それに代わる世界が自分の内側にあれば、宗教は必ずしも必要ないんじゃないか。」って書いた記憶があって。結構宗教に対して否定的だったんだよね。(S先生にはこんなの書いてくる生徒初めてだ、と言われた)

そのときは宗教を理由に争いが起きることを「それぞれが自分の宗教の正しさを主張し合ってるからだ」と思ってたし、その排他性みたいなものが宗教の教えの中に含まれてるとしたらそれってそもそもどうなのよ?とか、いずれにしても個人と宗教の距離感がおかしくない?(宗教を拠り所にするのと宗教に依存するのは別じゃない?)とか思ってた。

ここまで書いてみて、俺は特に宗教排他主義に今も昔も強い違和感があるんだと思う。そこで思考が止まってしまってるから、wattleには宗教の中身を具体的に教えてもらって、少しずつ思い込みを外していけたら俺も世界が広がりそう…!

ということで次回作も楽しみにしてます。

written by wattle🌼

俺も宗教というものを知ることを通じて、かなり世界が広がった感はあるよね。ひろびろにそんな風に感じてもらえるかは、俺の文才に期待する他ないが。。。

「人間の心は弱い」。この辺りはいずれブログで触れてみたいな。他人の心が弱いことを見抜くのは簡単だけれども、自分の心も弱いことを受け入れるのは然らず。。。(しばしば偉そうなことを言い出す点はご容赦ください…笑)

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