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「建築を気持ちで考える」を拝読して

    

 堀部安嗣さんのお名前を最初に認識したのは、まだ芦原義信先生の事務所に居た頃です。『ある町医者の記念館』を新建築誌上で拝見して、その光の巧みな操作や静かな空気感に共感を覚えると共に、同世代の建築家がこんな作品を手掛けたのだと驚いたことを良く憶えています。

先日まで、ギャラリー間で開催されていた堀部さんの展覧会にあわせて出版された「建築を気持ちで考える」をご縁あってご本人から頂きました。

実は頂いてすぐに読了していたのですが、それからずっと、この本の面白さについて考えていました。

 この本の前半は、堀部さんが影響を受けた建築などについて写真やスケッチと共に語り口調で書かれています。後半は自作についてテーマ別に解説されています。…解説というと少しニュアンスが違うかも知れません、計画概要を述べると言うよりは、こちらも語り口調で綴られています。

この本に通底しているのは、堀部さんが「語っている」という点です。

 建築の名作を伝える書籍というのは、歴史的な流れの中における関係や、それを設計した建築家本人の横顔(キャラクター)、特徴、計画学的な意味など分析的に伝えるものが多く存在します。それらは客観的な視点でその建築を正しく伝えるというところに力点があるように感じます。もちろん、力点の置き方によってその建築は違って伝わり、その語り手が素晴らしいと感じたところが強調されていくので、伝え手の違いによる温度差があり、そこが面白さでもあります。

 さて、堀部さんの辿る建築。その視点はあくまでも一人の建築家としての<目>に支えられています。読み進めていくうちに、どの建築のどんなところに惹かれているのか、それはこれまでの育った環境と経験によるものなのかもしれない…とある種自問自答する建築家の姿が浮かび上がります。

そこには、建築を公正に評価するというような大上段の視線はありません。感じたことを感じたままに。そこが良いなぁと思うのです。

 私がTOTO出版さんから声をかけていただいて、独立前にした世界放浪について書き始めたのは独立して6年目くらいのことでした。(「サイドウェイ 建築への旅 /TOTO出版」)

寡作ながらいくつかの建築をつくり、世に送り出してからのお声がけで良かったと上梓したときに思っていました。おそらく、帰国してすぐだったらただの旅行記、もっと言えば珍道中記になっていた可能性が高いと思います。芦原事務所での経験と、放浪中に感銘した名作達に感化されながらも建築家として向き合って行くなかで、名作達が発酵するような感覚がありました。それをあらためて文章化したようなところがあったのです。

 つくり手の書く自作以外の建築というのは、常に<鏡>です。だから普段の設計作業でどんな建築を構想するときにも、たくさんの歴史的建築との対話が起きるのです。もし、あの建築家だったらこういう条件でどういう決断を下すだろうか、では自分はどうするのか? というようなことが長年無意識の中でされています。

堀部さんの書く名作は、その建築を鏡として考え、判断し(ここに挙げられている名作は、ただ賛美されているわけではないのです)後半の自作についての語りにそのまま繋がる。

一見、前半と後半が分離されているような構成ですが、それがシームレスに流れていると言うことがこの本の面白さの一つです。

そして、通底して語られている価値観は、根源的に「人の居場所」の意味について問い続けているようにみえるのです。

廣部剛司

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