脳みそのバックグラウンド動作を信じる

昨日はこれについて書こうというテーマががっちりあって書いた。今日はまだない。

まぁ、ああいう感じでしっかりテーマがあって書けることは非常に稀だ。完全に空っぽのまま、noteの真っ白な画面に対峙する。これがほとんど。しかし不思議なもので、真っ白な画面に向き合ううちに、適当な書き始めの言葉が湧いてきて、それを少しずつ広げていけば自然と新しい日記が出来上がる。

毎日毎日よく書くことあるなぁと思う人もいるかもしれないけど、人間は1日に4万回も繰り返しいろんなことを自然と考えるのだから、真っ白な画面に向き合った時にその時が訪れるのも全くおかしなことではない。

それに瞑想や座禅をしていると良くわかる。考えないように集中していても自然と何かが頭の中に湧いてくるのだ。

須藤元気の本を読んだ時に「脳内おしゃべりをやめれば、よりハッピーに生きられる」的なことが書いてあった。それを読んだ時は、いまいちピンとこなかったんだけど、今は非常にピンとくる。ピンとこなかったのは「人は色々頭の中で考えるから賢くなる」という思い込みがあったからだ。

しかし頭の中で問答することは、答えの出づらい問題を延々と考えていることが多く、わざわざ自分で問答しなくても、人間の脳はバックグラウンドではしっかりと考えてくれていて、わざわざ自分で考える必要はないというのが、最近の僕の結論である。

脳みそがバックグラウンドでしっかり動作してくれているのだから、自分で考える必要はない。頭の中は常に空っぽでスッキリしていた方がいい。そう思う。雑然とした部屋、ごちゃごちゃの机の上でも生産的に学習や仕事ができる人は自分で考えてもいいかもしれないが(本当にそういう人っているんですよね。信じられないことに)、部屋や机がごちゃごちゃだと頭の中もごちゃごちゃしてしまう人は自分で考えるのをやめた方がいい。考えなくてもふとした瞬間にバックグラウンドで動いていた脳みそがポンっと答えを出してくれる。

昨日がまさにそんな日だった。年末からずっと体調が優れなかったのもあり、おとといは昼過ぎから全く作業に集中できず、早々に切り上げて帰った。そして昨日も朝から非常に調子が悪い。これではデスクに向かってもいい仕事はできないと思い、諦めて(手放して)昼前からスーパー銭湯へ行った。2時間ほど過ごしたら、ものすごく気力が湧いてきた。大きなお風呂に入ると自然と雑念は消える。体への意識が急激に高まるためだろう。

それまでの不調が嘘のように消え、颯爽とした気持ちでお風呂を後にした。するとふっとアイデアが湧いてきた。アプリのことでずっと引っかかっていたことの解決策だった。「オォ、これならなんとかなるかもしれない」

ずっと引っかかっていたけど、自分でわざわざ考えなかった。脳みそのバックグラウンド動作を信じて放っておいたのだ。

アイデアが浮かんだら、その解決策の実施に向けて進みたくなった。喜び勇んで作業場へ向かった。4時間ほどお風呂に時間を費やしたけど、4時間デスクに向かう以上の成果を得た。

やっぱり前向きに仕事に取り組めない時は無理に取り組まず、お風呂に行くのがいいなと思った。このパターンは意外と頻繁に起こる話である。

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