目指す場所がはっきりすれば、それに必要なことはおのずと見えてくる
今週末は埼玉の実家に来ている。
娘がブレボ(2輪のスケボー)に乗れるようになってきたので、僕も一緒に乗ろうと思って大人用のものを譲ってもらうべく電車で埼玉から川崎に向かっている。
今住んでいる田舎町にいると高齢者しか見ないので、都会の電車に乗ると高齢者が少ないことに驚く。昔からこんなだったっけ?もしかするとコロナ以降は電車を敬遠する高齢者が増えたのかなと思った。
自分の体験を小説風に仕立てて本にしたらどうなんだろう?と思っているので、小説家の柿谷美雨さんのエッセイを読んでいる。
自分の体験ベースなら小説であっても書けるかもと思ったけど、主観だけだと小説としての魅力が薄くなるような気がする。登場人物たちをちゃんと描写してこその小説だと思うから。
電車の中にいる人を眺めてみる。この人たちの1人を主人公にしたとして書けるだろうか?と想像してみた。服装や姿勢、表情から人物像は少しイメージできるものの、その人がどんな暮らしでどんな言動をし、どんなふうに考えているのかまではイメージしきれない。
これまでの他者に対する観察が足りないと思った。まずは書こうと思っている小説の登場人物となる人をもっと観察しないといけない。
幸いメインの登場人物は毎日一緒にいるから観察可能だ。でもどう観察したらいいのだろう?と思った。目的がはっきりしてないとどう観察していいかも分からない。
まずはプロットなり、書き出しなりを書くことなんだろうなと思った。書けば足りない情報が明確になるはずだ。
「小説を書くかもしれない」
こう思っただけでも物事は自然と動き始めるのだなと思った。目指す場所がはっきりすれば、それに必要なことはおのずと見えてくる。
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